諸々の徳 - イバーダートの徳
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諸々の徳 2 - イバーダートの徳
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كتاب الفضائل – فضائل العبادات
[اللغة اليابانية ]
ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري
翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة: فاطمة ساتو
海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1428 – 2007
2-イバーダート[1]の徳
● ウドゥー[2]の徳
ウスマーン・ブン・アッファーン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ウドゥーをし、それを全うする者の体からはその罪が流れ出よう。そしてそれは彼の爪の先からも、滴り落ちるのである。"」(ムスリムの伝承[3])
● ウドゥー及びその他のことにおいて、右側から始めることの徳:
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は靴を履く時や髪を櫛でとかす時、体を洗浄する時など全てのことにおいて、右側から始めることを好んでいました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])
● ウドゥーの後サラー(礼拝)することの徳:
ウクバ・ブン・アーミル(彼にアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:「ウドゥーを全うし、それから心と顔をもって2ラクア[5]のサラー(礼拝)に向かうムスリムは、必ずや天国に入るであろう。」(ムスリムの伝承[6])
● アザーン(礼拝への呼びかけ)の徳:
1-アブドッラー・ブン・アブドッラフマーンは、アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼らにアッラーのご満悦あれ)が彼にこう語った、と伝えています:「“私の見たところ、あなたは羊と砂漠を愛している。それであなたは羊と共にある時、あるいは砂漠にある時、サラー(礼拝)のためにアザーンをするならば呼び声を高らかに上げるのだ。というのも“アザーンをする者の声を聞いた者はジンであっても人間であっても、あるいは何であろうと、審判の日に彼のために証言してくれるであろう"からである。"」アブー・サイードは言いました:「これは私がアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)から聞いたことです。」(アル=ブハーリーの伝承[7])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「(礼拝への)呼びかけと(礼拝において)最前列(に立つことに潜む偉大な報奨と徳)を人が知り、そして(それゆえにその役割や場所が満杯になってしまい)くじ引きするしかなくなったとしたら、彼らはそうしたであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
3-ムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:「アザーンする者たちは審判の日、最も首の長い者たちである[9]。」(ムスリムの伝承[10])
①サラー(礼拝)の徳
● サラー(礼拝)に歩いて行くことと、モスクでサラート・アル=ジャマーア(集団礼拝)することの徳:
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラート・アル=ジャマーア(集団礼拝)は家や市場で単独でするサラー(礼拝)より、25段階も(その報奨や徳において)優れている。それでウドゥー[11] をし、それを全うしてサラー(礼拝)のみを欲しつつモスクへと向かう者は、アッラーがモスクまでのその一歩一歩において彼の位階を1つずつ上げて下さり、かつ彼の過ちを1つ1つ取り除いて下さるであろう。そしてモスクに入れば次のサラー(礼拝)までそこで待ち、そして彼はその間サラー(礼拝)をしていると見なされる。そして彼がサラー(礼拝)する場所にいる間、天使が彼のためにこう祈り続ける:“アッラーよ、彼の罪を赦し給え。彼がその清浄な状態にある限り、慈しみ給え。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12])
2-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラート・アル=ジャマーア(集団礼拝)は単独でするそれよりも、(その報奨や得において)27段階優れている。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[13])
● 朝夕にモスクに赴く者の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「朝夕にモスクに赴く者には、彼が朝夕に出かける度に、アッラーが天国における歓待をご用意下さるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14])
● サラー(礼拝)を厳粛さと静粛さをもって行うことの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「サラー(礼拝)が始まってしまったら、あくせく急いでやって来るのではない。静粛さをもって赴くのだ。そして(サラーのラクアで)間に合ったものは(彼らと共に)行い、そうでなかったものは(皆が終わった後に補う形で)完遂するのだ。あなた方がサラー(礼拝)を意図して歩んでいる時は、(既に)サラー(礼拝)の中にあるのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[15])
● タアミーン[16]の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなた方が“アーミーン。"と言い、天にある天使たちも“アーミーン。"と言ってそれが互いに重なる時、彼が以前犯した罪は赦されるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[17])
● 規定時間に忠実にサラー(礼拝)することの徳:
アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に尋ねました:“アッラーが最も愛でられる行為は何でしょうか?"(預言者は)言いました:“規定時間通りにサラー(礼拝)することだ。"(私は)言いました:“その次は?"(預言者は)言いました:“親孝行だ。"(私は)言いました:“その次は?"(預言者は)言いました:“アッラーの道において努力奮闘することだ。"このように預言者は私に語りましたが、もし更に質問を続けていたら、更に答えを追加されたことでしょう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[18])
● アル=バルダーン[19]の礼拝をする者の徳:
1-アブー・ムーサー・アル=アシュアリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アル=バルダーンを礼拝する者は、天国に入るであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[20])
2-アブー・バスラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「(ある時)アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はアル=ムハンマス(地名)でアスル(午後遅くの礼拝)を率い、そしてこう言いました:“実にこのサラー(礼拝)はあなた方以前の者たちにも示されたのだが、彼らはそれを遵守し切れなかったのだ。ゆえにこのサラー(礼拝)を遵守する者には、倍の報奨があろう・・・"」(ムスリムの伝承[21])
● ファジュル(夜明け前のサラー)とイシャー(夜更けのサラー)を集団で行うことの徳:
1-ウスマーン・ブン・アッファーン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“イシャー(夜更けのサラー)を集団で行う者は、あたかも夜の半分を(サラーに費やして)立ち続けたかのようである。そしてファジュル(夜明け前のサラー)を集団で行う者は、あたかも夜通し(サラーに費やして)立ち続けたかのようである。"」(ムスリムの伝承[22])
● サラー(礼拝)の後、その次のサラー(礼拝)まで待ち続けることの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“アッラーがそれでもって過ちを抹消され、かつ位階を上げて下さることを教えてやろうか?"(教友たちは)言いました:“ぜひとも、アッラーの使徒よ。"(預言者は)言いました:“そうするのが困難な時に、ウドゥー[23] を万遍なく行うことと、モスクまで沢山歩くこと、そしてサラー(礼拝)の後(また次の)サラー(礼拝)までそこで待つことだ。これこそがアッ=リバート[24]なのである。"」(ムスリムの伝承[25])
● ファジュル(夜明け前のサラー)後、その場に留まることの徳:
スィマーク・ブン・ハルブは言いました:「私はジャービル・ブン・サムラに尋ねました:“あなたはよくアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)と座を共にしましたか?"(彼は)言いました:“ああ、頻繁に。彼はファジュル(夜明け前のサラー)をした後、太陽が昇るまでその場から立ち上がらず留まっていた。太陽が昇って初めて、立ち上がったものである。"」(ムスリムの伝承[26])
● 金曜日の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“太陽の眼を見る日で最良のものは、金曜日である。アーダム(アダム)はその日創造され、その日に楽園に入れられ、その日そこから追放された。そして審判の日は金曜日以外には起こらない。"」(ムスリムの伝承[27])
● グスル[28]をし、金曜日の説教を聴き、集団礼拝することの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「グスルをして金曜礼拝に赴き、任意のサラー(礼拝)を行い、そして(イマームが)その説教を終えるまで謹聴し、かつ彼と共にサラー(礼拝)する者は、その前の週の金曜日の3日前からその日までの罪を赦されるであろう。」(ムスリムの伝承[29])
● 金曜日のある時間‐アスル(午後遅く)の後‐の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は金曜日に言及してこう言いました:「その日、もしムスリムであるしもべがその時間帯にサラー(礼拝)し、アッラーに何かを乞えば、それが叶えられないことがないある時間がある。」クタイバは彼の伝承にこう付け足しています:「そして彼は手でもって、(その時間帯の)短さを示しました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[30])
● アッ=スナン・アッ=ラーティバ[31]の徳:
ウンム・ハビーバ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“毎日義務ではない随意の12ラクア[32]を礼拝するムスリムのしもべには、アッラーが天国に彼のための家を立てて下さる(あるいは彼のために天国に1軒の家が建つ)。"(ウンム・ハビーバは)言いました:“そしてそれ以後、私はそれを未だに遵守しています。"」(ムスリムの伝承[33])
● タハッジュド[34]と夜中任意にサラー(礼拝)することの徳:
1-至高のアッラーは信仰者の特徴について、こう仰られました:-彼らの脇腹は(夜)寝床に留まっていることはなく、(アッラーの懲罰を)恐れ、(そのご慈悲を)乞いつつ主に祈願し、われら(アッラーのこと)が授けたものから施しをする。誰1人として(来世において)彼らのために隠された享楽の数々を知ることはない。(それは)彼らが行っていたことに対する報いなのである。,(クルアーン32:16-17)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)に次いで優れたサウムは、アッラーの月ムハッラム(のそれ)である。そして義務のサラー(礼拝)に次いで優れたサラーは、夜の任意のサラーである。"」(ムスリムの伝承[35])
● 夜の後半にウィトル[36]することの徳:
ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“夜の後半に起きられそうにない者は、夜の前半にウィトルするのだ。そして夜の後半に起きることを熱望する者は、後半にウィトルせよ。実に夜の後半のサラー(礼拝)は天使たちによって見守られており、そちらの方が(前半にするよりも)よりよいのである。"」(ムスリムの伝承[37])
● 夜のドゥアー(祈願)やサラー(礼拝)、ズィクル(唱念)の徳:
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「至高のわれらが主は毎晩夜の後半も3分の1に差し掛かる頃、天の最下層にまでご来臨なされる。そしてこう仰られる:“われにドゥアー(祈願)する者はいるか?われはそれに答えてやるぞ。われに何か頼み事をする者はいるか?われはそれを与えてつかわすぞ。われに罪の赦しを乞う者はいるか?われはその罪を赦してつかわすぞ。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[38])
2-ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“夜には、ムスリムが現世と来世においてアッラーに良きことを乞えば、それが叶えられないことのないある時間帯がある。そしてそれは夜全体のことなのだ。"」(ムスリムの伝承[39])
● ドゥハー(午前中)のサラー(礼拝)と、その最良の時間帯:
1-アブー・ザッル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「毎朝あなた方の身体の各関節には、サダカ(あらゆる形での慈善行為)が課せられる。全てのタスビーフ[40]は1つのサダカであり、全てのタハミード[41]は1つのサダカであり、全てのタハリール[42]は1つのサダカであり、全てのタクビール[43]も1つのサダカである。また善行を勧めることも1つのサダカであれば、悪行を禁じることも1つのサダカである。そしてドゥハー(午前)に礼拝する2ラクアは、それら全てに相当するのだ。」(ムスリムの伝承[44])
2-ザイド・ブン・アルカム(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「よき悔悟者のサラー(礼拝)とは、子ラクダたちの足が(太陽の灼熱で熱された砂の熱さに)熱される時(に行われるの)である。」(ムスリムの伝承[45])
● 頻繁にサジダ(伏礼)し、ドゥアー(祈願)することの徳:
1-ラビーア・ブン・カアブ・アル=アスラミー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)と共に泊まり、彼にウドゥー[46]のための水や用事などにおいて仕えていました。すると(預言者は)言いました:“(私に)頼み事をするがよい。"それで私は言いました:“天国であなたと共にあることを、あなたにお頼みしたいのです。"(預言者は)言いました:“その他には?"(私は)言いました:“それ以外にはありません。"(預言者は)言いました:“(あなたが)沢山サジダすることによって、私をあなた(の頼み事)において(それが実現出来るべく)援助してくれ。"」(ムスリムの伝承[47])
2-サウバーン(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーに沢山サジダするのだ。というのもアッラーがあなたの位階を1つ上げて下さり、かつあなたの罪を1つ抹消して下さることなしには、あなたがアッラーにサジダすることはないからである。"」(ムスリムの伝承[48])
● 自宅で随意のサラー(礼拝)をすることの徳:
ザイド・ブン・サービト(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「・・・あなた方の家でサラー(礼拝)するのだ。というのも義務のサラーを除けば、男性にとっての最善のサラーは自宅でするものなのであるから。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[49])
● 義務と随意のサラー(礼拝)の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“至高のアッラーは仰られた:「わが愛する敬虔なしもべに敵対する者には、われが宣戦布告しよう。そしてわがしもべがわれに向かって(随意の崇拝行為によって)近付こうとする行為は、われが彼に義務付けたもの(によるそれ)よりもわれを悦ばせるものなのである。
そしてわがしもべは(自発的な)任意の崇拝行為によって、われに向かって近付こうとし続ける。そしてわれは彼を愛で、彼の聞く聴覚となり、彼の見る視覚となり、彼がそれでもって制する手となり、それでもって歩む足となる。そして彼がわれに向かって何かを乞えば、われはそれを与えよう。彼がわが庇護を求めれば、われはそれを与えよう。そして死を厭う信仰者の魂(をその定命通り奪うことにおける)ほど、われがためらうことはない。われは彼を害する物事を厭うのであるから。」"」(アル=ブハーリーの伝承[50])
● 義務のサラー(礼拝)のタスリーム[51]後にズィクル(唱念)することの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「各サラー(礼拝)の後にアッラーを33回タスビーフ[52]し、アッラーを33回タハミード[53]し、また33回タクビール[54]し、‐これで計99回であるが‐そして100回目に:“ラー・イラーハ・イッラッラーフ・ワハダフ・ラー・シャリーカ・ラフ、ラフ=ル・ムルク、ワ・ラフ=ル・ハムド、ワ・フワ・アラー・クッリ・シャイイン・カディール(いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなし。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方である)。"と言った者は、例えその罪の数が海の泡のごとく(沢山)であったとしても、それを赦されるであろう。」(ムスリムの伝承[55])
● 葬儀及びそのサラー(礼拝)に参加し、埋葬の場に立ち会うことの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ムスリムの葬儀に信仰心と(それに参加することの)報奨を求める心をもって参加し、その礼拝と埋葬にまで立ち会った者には偉大な報奨が2つあるだろう。そしてその各々はウフド山[56]1つほどのようである。一方(葬儀の)礼拝にまで参加したが、埋葬にまでは立ち会わなかった者には偉大な報奨が1つある。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[57])
● ムスリムによって葬儀のサラー(礼拝)をされた者の徳:
1-アーイシャ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「葬儀のサラー(礼拝)に参加したムスリムの民が100人に達し、彼ら全てが故人のとりなしをするならば、そのとりなしは受け入れられないことがない。」(ムスリムの伝承[58])
2-イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーと共に他の何ものをも配さない40人の者が故人のために葬儀のサラー(礼拝)を捧げるならば、アッラーは彼らを故人に対するとりなし役とされるだろう。"」(ムスリムの伝承[59])
● 愛しい者が亡くなっても、偉大かつ荘厳なるアッラーの御許にその(出来事における忍耐による)報奨を求める者の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「至高のアッラーは仰られた:“われが現世においてその愛しき者(の命)を奪っても、(そこにおいて忍耐することで)天国(の報奨)を望むわが信仰者のしもべには、われのもとに報奨があろう。"」(アル=ブハーリーの伝承[60])
● マッカとマディーナの聖モスクでサラー(礼拝)する者の徳:
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「この私のモスク(マディーナの預言者モスク)におけるサラーは、それ以外のモスクでするサラーよりも(その報奨において)1000倍優れている。ただしマッカのハラーム・モスクにおけるサラーだけは別だ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[61])
2-ジャリール(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「この私のモスク(マディーナの預言者モスク)におけるサラーは、それ以外のモスクでするサラーよりも(その報奨において)1000倍優れている。ただし(マッカの)ハラーム・モスクにおけるサラーは別だが。ハラーム・モスクにおけるサラーは、それ以外のモスクでのサラーよりも(その報奨において)100000倍優れているのだ。」(アフマドとイブン・マージャの伝承[62])
● エルサレムの聖モスクにおけるサラー(礼拝)の徳:
アブー・ザッル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私たちがアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにいる時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のモスクとエルサレムの聖モスクのどちらが優れているかで、私たちの間に議論が起きました。その時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“この私のモスクにおける1回のサラー(礼拝)は、(エルサレムの聖モスクにおける)4回のサラー(礼拝)に(その報奨において)勝る。その礼拝所の何と素晴らしいことか・・・"」(アル=ハーキムの伝承[63])
● クバー・モスク[64]におけるサラー(礼拝)の徳:
サハル・ブン・ハニーフ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“自宅で心身を清め、それからクバー・モスクを訪れてサラー(礼拝)する者には、ウムラ(小巡礼)と同様の報奨があろう。"」(アン=ナサーイーとイブン・マージャの伝承[65])
②-ザカー(浄財)の徳
● ザカー(浄財)を施すことの徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-実に信仰して善行に励み、サラー(礼拝)を行いザカー(浄財)を施す者たちには、その主の御許に彼らの報奨があろう。彼らは恐れることもなければ、悲しむこともないのだ。,(クルアーン2:277)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーの御顔のみを求めてあなた方が施したザカー(浄財)は、それによって(彼らの利益としての報奨を)何倍にもする者たちである。,(クルアーン30:39)
3-至高のアッラーはこう仰られました:-昼に夜に、密かに露わに財を施す者たちには、その主の御許に報奨があるのである。彼らは恐れることもなければ、悲しむこともないのだ。,(クルアーン2:274)
4-至高のアッラーはこう仰られました:-彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。そして彼らのために祈れ。実にあなたの祈願は(彼らの心を)平穏にするであろう。アッラーは全てを聞かれ、ご存知になられるお方である。,(クルアーン9:103)
5-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、1人のベドウィンの男が預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来て言いました:「“それをすれば天国に入れるような行いを教えてくれ。"」(預言者は)は言いました:“アッラーをかれに何ものをも配さずに崇拝し、義務のサラー(礼拝)を行い、課されたザカー(浄財)を施し、ラマダーン月のサウム(斎戒、いわゆる断食)をするのだ。"(男は)言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。私はそれ以外には何もしないぞ。"そして(男が)立ち去った後、(預言者は)言いました:“天国の民に属する男を見たければ、彼を見るがよい。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[66])
● 合法的なよい手段をもって稼いだ糧から施すサダカ(施し)の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“合法的なよい手段をもって稼いだ糧から施せば、それがナツメヤシの実1粒ほどのものであっても、アッラーは‐よきものであれば受け入れられるお方ゆえ‐それをその右手でもって受け入れられるであろう。そしてまるであなた方が子馬を山のよう(な大きさ)になるまで育てるように、かれはその施し(の報奨)を大きくされるであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[67])
③-サウム(斎戒、いわゆる断食)の徳
● サウムの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーは仰られた:“アーダムの子(つまり人類)のする行いは全て自らのためのものであるが、サウムだけは別であり、わがため(に成される行い)である。そしてわれはそれによって報奨を与える。"またサウムは盾である。それであなた方がサウムする日には、下劣な言動を取ったり、(言い合いをして)声を張り上げたりしてはならない。そして誰かがあなたに悪口を言ったり、争いを仕掛けてきたりしたら、「私はサーイム(サウムする者)である。」と言うのだ。ムハンマドの魂がその御手に委ねられているそのお方にかけて。サーイムの口臭は、アッラーの御許において麝香の香りよりもかぐわしい。そしてサーイムには2つの喜びがある:サウムを解く時の喜びと、その主にまみえた時のそのサウムゆえの喜びである。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[68])
● サウムの徒の徳:
サハル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「天国には8つの門がある。そしてそこにはサウムの徒しかそこから入ることのない、アッ=ライヤーンという名の門がある。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[69])
● ラマダーン月をイーマーン[70]と報奨への望みをもってサウムすることの徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ラマダーン月をイーマーンと報奨への望みをもってサウムする者は、それ以前に犯した罪を赦されるであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[71])
● ラマダーン月をイーマーンと報奨への望みをもって夜のサラー(礼拝)に費やす者の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ラマダーン月をイーマーンと報奨への望みをもって夜のサラー(礼拝)に勤める者は、それ以前に犯した罪を赦されるであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[72])
● ライラト・アル=カドゥル[73]にラマダーン月をイーマーンと報奨への望みをもってサラー(礼拝)する者の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ライラト・アル=カドゥルをイーマーンと報奨への望みをもってサラー(礼拝)する者は、それ以前に犯した罪を赦されるであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[74])
● ラマダーン月をサウムし、シャウワール[75]月に計6日間のサウムをする者の徳:
アブー・アイユーブ・アル=アンサーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“ラマダーン月をサウムし、シャウワール月に計6日間のサウムをする者は、あたかも1年間のサウムをしたかのようである[76]。"」(ムスリムの伝承[77])
● 毎月3日間のサウムをすることの徳:
アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼にこう言いました:「・・・そして毎月3ヶ月のサウムをせよ。というのも1つの善行はその10倍に値するのであり、それでもってあたかも1年間のサウムをしたかのようであるからである[78]。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[79])
④-ハッジ(大巡礼)とウムラ(小巡礼)の徳:
● ズル=ヒッジャ月[80]最初の10日間の徳:
イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“いかなる日々に行われる行いも、この日々(ズル=ヒッジャ月最初の10日間)における行いに(その報奨において)優るものはない。"(教友たちは)言いました:“ジハード(アッラーの道における努力奮闘)ですらもですか?" (預言者は)言いました:“ジハードですらも、だ。ただし自分の生命と財をもって敵のもとへと出征し、戻ってこなかった者は別だが。"」(アル=ブハーリーの伝承[81])
そして別の伝承にはこうあります:「この10日間(ズル=ヒッジャ月最初の10日間 )における善行よりも、アッラーが愛でられる日の善行はない。」(アッ=ティルミズィーの伝承[82])
● 正しく行われ、受け入れられたハッジの徳:
1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞いた:“アッラーゆえにハッジし、下卑た言動や放埓さから身を慎んだ者は、母親が彼を生んだ日(のような無垢で純粋な状態)に舞い戻るであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[83])
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は“最上の行いは何か?"と問われ、こう答えました:“アッラーとその使徒を信じることである。"そして“その次は?"と問われると、言いました:“アッラーの道においてジハード(努力奮闘)することである。"そして“その次は?"と問われると、言いました:“正しく行われ、受け入れられたハッジである。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[84])
● 女性にとっての最高のジハード:
預言者たちの母アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「“アッラーの使徒よ、ジハードが最高の行いであると伺いますが(私たちは容易にそれに参加することが出来ません)。"すると(預言者は)言いました:“しかし最高のジハードとは、正しく行われ、受け入れられたハッジなのである。"」(アル=ブハーリーの伝承[85])
● ウムラ(小巡礼)の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「1つのウムラとウムラの間には、その間(に犯された罪)の償いがある。そして正しく行われ、受け入れられたハッジの報奨は、天国以外の何ものでもない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[86])
⑤-ジハードの徳
至高のアッラーはこう仰られました:-実にアッラーは、天国と引き換えに信仰者たちの生命と財産を購われた。(それはつまり彼らが)アッラーの道において殺し、殺される(ことである)。これはトーラーと福音書とクルアーンにおいて(アッラーが約束された)真実のお約束なのである。そしてアッラーよりもその約束に対して忠実なお方があろうか?それゆえあなた方が契りを結んだ取引を喜ぶがいい。それ(天国)こそはこの上ない勝利なのである。,(クルアーン9:111)
● 朝に夕にアッラーの道に出征することの徳:
1-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーの道において朝に出征すること、あるいは夕に出征することは、現世とそこにあるもの全てに優る。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[87])
2-アブー・アイユーブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーの道において朝に出征すること、あるいは夕に出征することは、太陽が昇り、沈むのを目にする全てのものにも優る。"」(ムスリムの伝承[88])
● アッラーの道におけるジハードに出征した先で死んだり、殺されたりした者の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーとその使徒ゆえに移住を意図して自分の家を後にし、(それを達成する前に)命を失った者には、アッラーからの報奨が確実であろう。アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン4:100)
2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてもしあなた方がアッラーの道において殺されたか死んだりしても、アッラーからのお赦しとご慈悲こそは(不信仰者たちが現世で)稼ぐもの全てに優るのである。そしてもしあなた方が死んでも殺されても、(結局は)アッラーの御許へと召集される境遇なのである。,(クルアーン3:157-158)
● ジハードを望みつつも、病気やその他の理由のためそれを阻まれた者の徳:
アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は戦役に参加していましたが、その時こう言いました:「マディーナに残ったある者たちは、私たちと共に山道や谷を進んでいるのだ。彼らは都合ゆえに(私たちと共に)出征できなかった者たちである。」(アル=ブハーリーの伝承[89])
● アッラーの道のための戦いに備える者の徳:
ザイド・ブン・ハーリド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーの道のための戦いに備える者は、実に(既に)出征しているのである。そしてアッラーの道の戦いによき理由[90]をもって出征しなかった者もまた、実に出征したことになるのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[91])
● アッラーの道において生命と財をかけて努力する者の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-マディーナの民とその周辺の遊牧部族たちは、(出征の命令を出した)アッラーの使徒に(応じて)追随せず、共に出征しないようであってはならない。また彼ら自身(の命)を彼(預言者の命)よりも重んじるようあってもならない。というのも(ジハードに出征する者たちは)アッラーの道において彼らが喉を乾かせ、疲労困憊し、飢え、また(交戦状態にある)不信仰者たちの地に足を踏み入れて彼らを怒らせ、敵に被害を被らせれば、アッラーはそれらによって彼らへのよき報奨を記録されないことはないからである。実にアッラーはよく服従する者たちの報奨を、少しも損なわれることがない。また多かれ少なかれ(彼らがジハードにおいて)拠出し、谷を越えれば、アッラーはそれを記録されないことがない。(アッラーは)彼らの行っていたところのものよりも優れたもので、彼らに報われるのである。,(クルアーン9:120-121)
2-アブー・アブス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーの道において足を埃まみれに(して努力奮闘)する者は、アッラーが彼に地獄を禁じられるであろう。"」(アル=ブハーリーの伝承[92])
● 朝夕にモスクに赴く者の徳:
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「朝夕にモスクに赴く者には、彼が朝夕に出かける度に、アッラーが天国における歓待をご用意下さるであろう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[93])
● アッラーの道において施しをする者の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-アッラーの道において財を施す者たちは、7本の穂を芽吹かせる1粒の種子のようである。(その7本の穂は)各々100粒もの種を実らせるのだ。アッラーはお望みになる者に(その報奨を)倍増なされる。アッラーはこの上なく豊かで、全てをご存知のお方である。,(クルアーン2:261)
2-アブー・マスウード・アル=アンサーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ある男が手綱をつけた1頭の雌ラクダを連れてやって来て、言いました:“これはアッラーの道に(おいて施します)。"するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“審判の日、あなたには手綱をつけた700頭の雌ラクダが与えられよう。"」(ムスリムの伝承[94])
● アッラーの道において殺された者の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーの道において殺された者たちを、死人と思ってはならない。彼らはアッラーの御許で糧を与えられ、生き続けているのである。(彼らはそこで)アッラーから与えられた恩恵に喜んでいる。そして彼らの後を追って殉教へと向かう者たちには恐れも悲しみもないのだ、と喜んでいるのだ。(また彼らには)アッラーからの恩恵と豊かなお恵みがある。そしてアッラーは信仰者たちの報奨を、決して損なわれたりしないのだ。,(クルアーン3:169-171)
2-アブー・クターダ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに1人の男がやって来て、言いました:“もしアッラーの道において殺されたら、私の罪の数々は赦されるでしょうか?"アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安とd祝福あれ)は言いました:“ああ。あなたが辛抱強く、(その行いでもってアッラーの報奨を)望み、背中を見せずに向かって行くのなら。しかし借金(を残すこと)だけは別である。ジブリール(彼に平安あれ)が私にそう言ったのだ。"」(ムスリムの伝承[95])
⑥-ズィクル(唱念)の徳:
● ズィクル(唱念)の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-(彼らとは)信仰し、その心がアッラーのズィクル(唱念)で平穏である者たち(である)。アッラーのズィクルによって心が平穏にならないことがあろうか。,(クルアーン13:28)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“至高のアッラーは仰られた:「われはしもべがわれに対して持っている、その思いのもとにある。われは彼がわれをズィクル(唱念)すれば、彼と共にあるのだ。もし彼が自らの中でわれをズィクル(唱念)するのなら、われは彼を自らの中で称えよう。そして彼が集団でわれをズィクル(唱念)するのなら、われはそれに優る集団(天使たち)と共に彼らを称えよう。そしてもし彼が(服従行為によって)手の平1つ分だけわれに近付こうとするのなら、われは彼に腕一本分近付こう。そしてもし彼が(服従行為によって)腕一本分だけわれに近付こうとするのなら、われは彼に両腕分近付こう。そしてもし彼がわれに歩み寄ってくるのなら、われは彼へと走って行こう。」"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[96])
3-アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“その主をズィクル(唱念)する者としない者の例は、あたかも生者と死人のようである。"」(アル=ブハーリーの伝承[97])
● 来世について念じ、思いを馳せることの徳、及び時にそれを忘れることが許されること:
ハンザラ・アル=ウサイイディー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「・・・そして私とアブー・バクルは行き、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにやって来ました。私は言いました:“アッラーの使徒よ、ハンザラは偽善者です。"するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“どうしてだ?"私は言いました:“アッラーの使徒よ、あなたと共にいると、あなたはあたかもそれらが眼前にあるかのように地獄や天国を想起させてくれます。しかしあなたのもとを離れると、私たちは妻や子供たち、現世の諸事に夢中になってしまい、(それらの訓戒を)ひどく忘れてしまうのです。"するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。あなたが私のもとにある時のようなズィクル(唱念)の状態を(私から離れた後も)継続していれば、あなた方の寝床や行く道々で天使たちがあなたに握手をするであろう。しかしハンザラよ、(人間とは)時にこうあれば、またある時にはそうあるものなのだ。"」(ムスリムの伝承[98])
⑦-ドゥアー(祈願)の徳
● ドゥアー(祈願)の徳:
1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわがしもべたちがわれについてあなたに尋ねたら、(こう言うがよい):「実にわれは(あなたの)近いところにおり、われを呼ぶ者の祈りに答えよう。ゆえにわれに乞わせ、われを信仰させよ。あなた方は正しく導かれることであろう。」,(クルアーン2:186)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーは仰られた:「われはしもべがわれに対してもっている、その思いと共にある。そして彼が呼べば、彼と共にある。」"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[99])
● 罪の赦しと堅固さ、敵への勝利をドゥアー(祈願)することの徳:
至高のアッラーはこう仰られました:-そして彼らはこう言うだけであった:「われらが主よ、私たちの罪と行き過ぎの数々をお赦し下さい。そして(戦場において)私たちの足を堅固に固め、不信仰者の敵に対して勝利をお授け下さい。」するとアッラーは彼らに現世における報奨と、来世における報奨を与えられた。アッラーはかれによく従う者たちを愛でられる。,(クルアーン3:147-148)
[1] 訳者注:諸々の崇拝行為や、アッラーと人間の間の諸々の取り決めのこと。
[2] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[3] サヒーフ・ムスリム(245)。
[4] サヒーフ・アル=ブハーリー(168)、サヒーフ・ムスリム(268)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[5] 訳者注:2セットの礼拝のこと。また「心と顔をもって」というのは、心は畏怖と服従の中枢であり、顔は礼拝中にあらぬ方向に振り向かずキブラ(カアバ神殿の方向)に集中しているということで、礼拝における畏怖の念やアッラーを唱念することへの集中などを意味している。
[6] サヒーフ・ムスリム(234)。
[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(609)。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(615)、サヒーフ・ムスリム(437)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[9] 訳者注:その意味に関しては、審判の日にアッラーのご慈悲を最も待ちわびる者たちとなるとか、また偉大な報奨を得るとか、あるいは汗で体が埋もれる時に首が長くなって助かるとか、あるいはその日人々の首領になるとかいった解釈があります。
[10] サヒーフ・ムスリム(387)。
[11] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[12] サヒーフ・アル=ブハーリー(477)、サヒーフ・ムスリム(649)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[13] サヒーフ・アル=ブハーリー(645)、サヒーフ・ムスリム(650)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[14] サヒーフ・アル=ブハーリー(662)、サヒーフ・ムスリム(669)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[15] サヒーフ・アル=ブハーリー(636)、サヒーフ・ムスリム(602)。文章はムスリムのもの。
[16] 訳者注:ハディースの中に見られるように、「アーミーン」という言葉を指します。キリスト教の普及によって日本人が誰でも知るようになった「アーメン」という言葉と同様に、「アッラーよ、(祈りに)お応え下さい。」という意味があります。
[17] サヒーフ・アル=ブハーリー(781)、サヒーフ・ムスリム(410)。文章はムスリムのもの。
[18] サヒーフ・アル=ブハーリー(527)、サヒーフ・ムスリム(85)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[19] 訳者注:この言葉の語源はアル=バルドゥ(冷涼さ)であり、アル=バルダーンはその双数形です。つまり昼間の最も涼しい時期である、ファジュル(夜明け前)とアスル(夕方)の事を指しています。
[20] サヒーフ・アル=ブハーリー(574)、サヒーフ・ムスリム(635)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[21] サヒーフ・ムスリム(830)。
[22] サヒーフ・ムスリム(656)。
[23] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[24] 訳者注:アッラーの服従行為のために、自らをどこかに留め置く事。戦闘における前線での待機や警備なども同語で示されます。
[25] サヒーフ・ムスリム(251)。
[26] サヒーフ・ムスリム(670)。
[27] サヒーフ・ムスリム(854)。
[28] 訳者注:穢れを取り除ける意図をもって、全身を水で洗浄すること。
[29] サヒーフ・ムスリム(857)。
[30] サヒーフ・アル=ブハーリー(935)、サヒーフ・ムスリム(852)。文章はムスリムのもの。
[31] 訳者注:推奨されている随意の礼拝のこと。
[32] 訳者注:この12ラクアとはアッ=ティルミズィーやアン=ナサーイーらの別の伝承が示すように、ファジュル前の2ラクア、ズフル前の4ラクア、ズフル後の2ラクア、マグリブ後の2ラクア、イシャー後の2ラクアだと言われています。
[33] サヒーフ・ムスリム(728)。
[34] 訳者注:深夜に任意で行う礼拝。普通は一旦寝た後に、そのために深夜に起き上がってする礼拝のことを言います。一方キヤーム・アッ=ライリ(夜中にする任意のサラー)はもっと広い意味で用いられ、夜全般に渡って行われる任意の礼拝全てを指します。
[35] サヒーフ・ムスリム(1163)。
[36] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。「クヌート」は、その最後のラクアのルクーゥ(お辞儀の形の礼)前か後に行われるドゥアー(祈願)。
[37] サヒーフ・ムスリム(755)。
[38] サヒーフ・アル=ブハーリー(1145)、サヒーフ・ムスリム(758)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[39] サヒーフ・ムスリム(757)。
[40] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[41] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。
[42] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。
[43] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。
[44] サヒーフ・ムスリム(720)。
[45] サヒーフ・ムスリム(748)。
[46] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。
[47] サヒーフ・ムスリム(489)。
[48] サヒーフ・ムスリム(488)。
[49] サヒーフ・アル=ブハーリー(731)、サヒーフ・ムスリム(781)。文章はムスリムのもの。
[50] サヒーフ・アル=ブハーリー(6502)。
[51] 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶する。
[52] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[53] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。
[54] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。
[55] サヒーフ・ムスリム(597)。
[56] 訳者注:マディーナ郊外に位置する山のことです。
[57] サヒーフ・アル=ブハーリー(47)、サヒーフ・ムスリム(945)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[58] サヒーフ・ムスリム(947)。
[59] サヒーフ・ムスリム(948)。
[60] サヒーフ・アル=ブハーリー(6424)。
[61] サヒーフ・アル=ブハーリー(1190)、サヒーフ・ムスリム(1394)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[62] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(14750)、スナン・イブン・マージャ(1406)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(1155)。イルワーウ・アル=ガリール(1394)参照。文章はイブン・マージャのもの。
[63] 真正な伝承。ムスタドゥラク・アル=ハーキム(8553)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2902)参照。
[64] 訳者注:マディーナに今も現存する、イスラーム史上初めて建設されたモスク。
[65] 真正な伝承。スナン・アン=ナサーイー(699)、サヒーフ・スナン・アン=ナサーイー(675)、スナン・イブン・マージャ(1412)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(1160)。文章はイブン・マージャのもの。
[66] サヒーフ・アル=ブハーリー(1397)、サヒーフ・ムスリム(14)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[67] サヒーフ・アル=ブハーリー(1410)、サヒーフ・ムスリム(1014)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[68] サヒーフ・アル=ブハーリー(1904)、サヒーフ・ムスリム(1151)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[69] サヒーフ・アル=ブハーリー(3257)、サヒーフ・ムスリム(1152)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[70] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。
[71] サヒーフ・アル=ブハーリー(38)、サヒーフ・ムスリム(760)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[72] サヒーフ・アル=ブハーリー(37)、サヒーフ・ムスリム(759)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[73] 訳者注:「ライラト・アル=カドゥル」はラマダーン月最後の10日間の内のどれか、あるいは最後の7日間のどれかであるなどという伝承があり、諸説あります。アッラーはこの夜、アッ=ラウフ・アル=マハフーズ(護られた碑版)から向こう1年分の諸事をお望みのままに定められますが、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にクルアーンを啓示されるべく、それをアッ=ラウフ・アル=マハフーズから天の最下層にまで下されたのがこの夜のことでした。この夜は天を昇り降りする天使で世界中が満たされると言われます。クルアーン97章参照のこと。
[74] サヒーフ・アル=ブハーリー(1901)、サヒーフ・ムスリム(760)。
[75] 訳者注:ラマダーン月に続く、ヒジュラ暦10月。
[76] 訳者注:つまり1つの善行がその10倍の報奨に値するという原則に基づけば、ラマダーン月の1ヶ月のサウムは10か月分のサウムに、そして6日間のサウムは2か月分のそれに相当するということになり、単純計算で1年分のサウムの報奨を得ることになります(訳者注13も参照のこと)。アッラーフ・アァラム(アッラーは全てをご存知であられます)。
[77] サヒーフ・ムスリム(1164)。
[78] 訳者注:つまり1つの善行がその10倍の報奨に値するとすれば、毎月3日間のサウムはまる1ヶ月間のサウムに相当し、それゆえあたかも毎日サウムしているかのようであるからです。
[79] サヒーフ・アル=ブハーリー(1976)、サヒーフ・ムスリム(1159)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[80] 訳者注:ヒジュラ暦12月。
[81] サヒーフ・アル=ブハーリー(969)。
[82] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(757)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(605)。
[83] サヒーフ・アル=ブハーリー(1521)、サヒーフ・ムスリム(1350)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[84] サヒーフ・アル=ブハーリー(1519)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[85] サヒーフ・アル=ブハーリー(1520)。
[86] サヒーフ・アル=ブハーリー(1773)、サヒーフ・ムスリム(1349)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[87] サヒーフ・アル=ブハーリー(2792)、サヒーフ・ムスリム(1880)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[88] サヒーフ・ムスリム(1883)。
[89] サヒーフ・アル=ブハーリー(2839)。
[90] 訳者注:出征した者たちの用事や、彼らが後に残した家族の面倒を見たり援助したりすることなどを指します(アン=ナワウィー師のサヒーフ・ムスリム解釈参照)。
[91] サヒーフ・アル=ブハーリー(2843)、サヒーフ・ムスリム(1895)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[92] サヒーフ・アル=ブハーリー(907)。
[93] サヒーフ・アル=ブハーリー(662)、サヒーフ・ムスリム(669)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[94] サヒーフ・ムスリム(907)。
[95] サヒーフ・ムスリム(1885)。
[96] サヒーフ・アル=ブハーリー(7405)、サヒーフ・ムスリム(2675)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[97] サヒーフ・アル=ブハーリー(6407)。
[98] サヒーフ・ムスリム(2750)。
[99] サヒーフ・アル=ブハーリー(7405)、サヒーフ・ムスリム(2675)。文章はムスリムのもの。