授乳
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授乳
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الرضاع
[اللغة اليابانية ]
ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري
翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة: فاطمة ساتو
海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1429 – 2008
9-授乳
● 授乳とは:2歳以下の幼児が、分娩後の乳を吸うなり飲むなりして吸収することです。
アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はハムザの娘に関して、こう言いました:「彼女は私には(結婚相手として)合法ではない。授乳(によって生じる乳親族関係)は、血縁関係で禁じられるのと同じものを禁じるのである。彼女は授乳において、私の姪にあたるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1])
● 授乳によるマハラム[2]:
2歳以下の幼児を5回授乳すれば、マハラムとなります。こうしてその幼児は彼女とその夫の授乳上の息子あるいは娘となり、授乳した妻やその夫のマハラムは彼にも禁じられ、同様に彼らの実の息子や娘は彼あるいは彼女にとっての授乳上の兄弟姉妹となります。
しかし授乳した妻とその夫にとって、授乳された子供の両親とその尊属、及びその子供の両親の子供‐つまりその子供の兄弟姉妹‐とその卑属にまでは乳親族関係は及びません。ゆえに授乳した妻とその夫の息子たちは、授乳された子供の血縁上の姉妹と婚姻可能ですし、またその逆も可能なのです。
● 1回の授乳とは:
幼児が乳を吸い、何らかの外的な力を加えることなく気の赴くままにさせるて離れるまでか、あるいは別の女性の乳に移動するまでのことです。そしてまた同じことを繰り返せば、それが2回目の授乳となります。授乳はその地の習慣によりますが、最も良いのは外面も内面も共に優れた宗教的に真面目な女性の授乳でしょう。
● 乳親族関係が認知されるために:
乳親族であることは以下のことによって認められます:
① 成人男性2人の証言。
② 成人男性1人と成人女性2人の証言。
③ 授乳した女性本人いかんに関わらず、宗教的に信頼の置ける成人女性1人の証言。
● 授乳の影響:
1-初婚者であろうと既婚者であろうと、男児に授乳した女性にとってその子供は将来婚姻不可能な関係になります。ゆえに彼は彼女にとってのマハラムと見なされ、成人した後も彼女が家族の前でしているような格好を目にすることも出来れば、2人きりになることも可能です。但し彼には授乳上の母親に対しての扶養や後見、相続の権利はありません。
2-家畜の乳は人間の乳と異なり、乳親族関係は発生しません。ゆえに2人の子供が同じ牛乳から授乳されたところで乳親族関係は成立しません。またマハラム同士でない男女間の輸血も、乳親族関係には影響しません。
3-ある者を授乳したかどうか、あるいはきちんと5回の授乳を行ったかどうか疑念を抱いた場合、証拠がない限り乳親族関係の不成立に立脚するようにします。というのも本来の形は、他人の母からの授乳の不在であるからです。
● 2歳以上の者への授乳:
乳親族を成立させる授乳とは、2歳以下の幼児への5回以上の授乳です。しかしもしその必要に迫られたら、2歳以上の子供に乳をあげても構いません。[3]
アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「サハラ・ビント・スヘイルが預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、(私たちの養子である)サーリムが(私たちの)家に入るのを、(私の夫でサーリムの養父である)アブー・フザイファがよい顔で見ないようなのですが。”すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“彼に乳を与え(て、彼を授乳上の息子としてしまい)なさい。”彼女は言いました:“彼はもう大きいのに、どうやって授乳出来ましょう?”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は微笑んで言いました:“私は彼がもう大きいことは心得ているよ。”」[4](アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])
[1] サヒーフ・アル=ブハーリー(2645)、サヒーフ・ムスリム(1447)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[2] 訳者注:夫婦関係にある者や乳親族の関係にある者、またいかなる状態においても婚姻が許されない近縁関係にある父母や兄弟姉妹や息子や娘などのことを指します。
[3] 訳者注:下の訳者注を参照のこと。
[4] 訳者注:この伝承と、そこから導かれる法規定についてはいくつかの注意が必要です。①この出来事は、イスラームにおいて養子縁組が禁じられる以前のものでした。②サーリムの養父でサハラの夫であるアブー・フザイファは、成長したサーリムが法的にはマハラムでもない妻の所に出入りすることに、当惑していました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はそのような状況を、授乳によってサーリムを授乳上の親族とすることで解決しようとしたのです。③別の伝承ではサーリムが実際に授乳されたことが伝えられていますが、どのような形で授乳されたのかは明確ではありません。別のムスリムの伝承では、サーリムはあごひげが生えているほどの年齢だったと伝えられています。アン=ナワウィーはサヒーフ・ムスリム解釈の中で、アル=カーディーの「彼女の乳房に目をやることも触れることもなく、絞られた彼女の乳を飲んだのではないか」という見解も引用しています。④イブン・タイミーヤ、イブン・カイイムらはこの伝承に基づいて比較的大きい子供に授乳するには、彼らと同様の必要性が存在していなければならないとしています。また現代サウジの学者イブン・ウサイミ-ンはその著「ハンバリー学派法学書ザード・アル=ムスタクニゥ解釈“アル=ムムティウ”」の中で、「この伝承が示す法規定はサーリムに限定されたものではなく一般規定ではあるが、しかしその実践にはサーリムのような状況と符号することが必要である。そしてそれは、イスラームが養子縁組を禁じた後の時代には不可能であるのだ」という見解を示しています。
[5] サヒーフ・アル=ブハーリー(4000)、サヒーフ・ムスリム(1453)。文章はムスリムのもの。