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裁判官は暴虐的であってはなりませんが、不正者につけこまれることのないほどの強さを備えていることがスンナです。また脆弱であってはなりませんが、自らの権利を備える者にとって威圧的ではないほどの柔和さを備えているべきです。

    裁決

    4裁決の作法

    ] 日本語 [

    القضاء

    4- آداب القضاء

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    4-裁決の作法

    ● 裁判官は暴虐的であってはなりませんが、不正者につけこまれることのないほどの強さを備えていることがスンナ[1]です。また脆弱であってはなりませんが、自らの権利を備える者にとって威圧的ではないほどの柔和さを備えているべきです。

    ● また裁判官は当事者の言動によって怒りを覚え、そのことによって性急で軽率な判断を下してしまわないためにも、辛抱強くなければなりません。

     また裁判官は焦って不適切な言動をとってしまわないよう、着実でなければなりません。そして、ある種の者たちに欺かれないに足るだけの賢明さも備えているべきです。

     また裁判官は自らとその財産などにおいて非合法なものから無縁であり、慎ましいことが求められます。

     また裁判官はその任務において偉大かつ荘厳なるアッラーに報奨を望み、そして真摯かつ誠実でなければなりません。アッラーの宗教によって裁くことにおいて、人の批判などを恐れることがあってもいけません。

     また裁判官は判決の簡易化のため、過去の裁判官らの判決について熟知していることが望まれます。

    ● 裁判官は法学者や学識豊かな者と交わり、困難な問題があれば彼らに協議を求めるべきです。

    ● 裁判官は当事者の入場や着席、彼らへの対応や聴取などにおいて平等に接しなければならず、またアッラーの下された法でもって彼らの間を裁く義務があります。

    ● 裁判官は自らが以下のような状態にある時、裁決を下すことを禁じられます:

    ① 激しい怒りを覚えている時。

    ② 強い尿意を催している時。

    ③ 激しい飢えや乾きに襲われている時。

    ④ 非常な心配事に悩まされている時。

    ⑤ 強い倦怠感やだるさにとらわれている時。

    ⑥ 強烈な眠気に襲われている時。

     しかしもし上記のような状態において判決を下し、かつそれが正当なものであったら、その判決は有効なものと見なされます。

    ● また裁判官は、折々の出来事や諸事を書き留めるため書記を用いることがスンナです。尚書記は責任能力を有し[2]、宗教を遵守しかつ常識を備えたムスリム男性であるべきです。

    ● 裁判官に禁じられる物事:

     裁判官がどうかに関係なく、賄賂の受領は禁じられます。

     また贈与品を受け取ってもいけません。彼の任務以前からそうしていた者はその限りではありませんが、それも受け取らない方がよいでしょう。

     預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「総督への贈与品は欺瞞である。」(アフマドの伝承[3]

    ● 裁判官はただの伝え聞きのみで判決を下してはならない:

     裁判官は自らの伝え聞いたことのみに依拠して裁くのではなく、きちんと供述に耳を傾けた上で判決を下すようにします。というのもそうしなければ、判決が疑わしいものとなってしまうからです。

     但し何の疑念や恐れもないような場合や、あるいはその情報が信頼のおける筋から収集されて十分な量に達しており、自分だけでなく他の者もその情報を共有しているような場合には、供述を聴かずして判決を下すことが許されます。

    ● 人の間を取り持ち、慈しむことの徳:

     裁判官はその件に関して明らかなイスラーム法上の判決が存在しない限り、係争中の両者の間に調停に入り、許しと寛容の精神を勧めることが推奨されます。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-サダカ(施し)か善行か人々の間の調停かを命じるものではない限り、彼らの密談の多くには益がない。しかしアッラーのご満悦を望みつつそのようなことを行う者には、われら(アッラーのこと)がまたとない報奨を授けよう。,(クルアーン4:114)

     2-至高のアッラーはこう仰られました:-実に信仰者同士は兄弟である。ゆえにあなた方の兄弟の間を取り持つのだ。アッラー(のお怒りや懲罰の原因となるような物事)から身を慎めば、あなた方はきっとご慈悲をかけられよう。,(クルアーン49:10)

     3-至高のアッラーはこう仰られました:-ムハンマドはアッラーの使徒である。そして彼と共にある者たちは不信仰者に対して厳しく、彼らの間では慈しみ深い。,(クルアーン47:29)

     4-ジャリール・ブン・アブドッラー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーは、人間を慈しまない者にご慈悲をかけ給わらない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4]

    ● 判決の前に当事者に訓戒を施すことに関して:

     裁判官は、判決の前に当事者に訓戒を施すことを推奨されます。

     ウンム・サラマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「私は1人の人間に過ぎないが、あなた方は私に争いの調停を求める。そしてあなた方の内のある者は、他の者よりも論証において雄弁であり、それゆえに私は私が耳にした通りに(その者の都合のよい形で)裁いてしまうかもしれない。それで私がそのような者に対し、その同胞の何らかの権利を(不当に)得るような判決でもって裁いてしまったとしても、それを手にするのではない。というのも(そのような場合)私は、その者に地獄の炎の一片を差し出しているに他ならないからである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]

    ● 裁判官は自分自身及びその配偶者や直系の尊属・卑属など、その者に対する彼自身の証言が有効とはならないような立場の者に対しては法的に有効な判決を下すことが出来ません。

    ● 争っている2者、あるいはそれ以上の者たちが誰か適切な人物を彼らの間の裁き手として選んだ場合、その者の下す判決は有効となります。

    ● アッラーの法以外のもので裁くことの重大さ:

     裁判官はアッラーの下された法でもって人々の間を裁かなければならず、いかなる場合であってもそれ以外のもので裁くことがあってはなりません。というのもイスラーム法以外のもので裁くことは、不信仰者の行いであるからです。

     またイスラーム法はいかなる分野においても、人間の状況の改善を保障します。ゆえに裁判官は、いかなる事柄に関しても綿密に調査した上で、アッラーの下された法によって裁かなければなりません。アッラーの宗教こそは完全かつ十分で、またどのような問題にも万能なのです。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)

     2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)でもって彼らの間を裁き、彼らの私欲に従うのではない。そして彼らが、アッラーがあなたに啓示したものの一部においてあなたを試練にかけることに対し、注意を払うのだ。 それで彼らが背き去っても、知るがよい。アッラーは彼らのいくつかの罪ゆえに、彼らを罰することを欲されているのだ。実に多くの人々は、放埓者である。,(クルアーン5:49)

    ● 裁判官とムフティー[6]の違い:

     裁判官には3つの特徴があります:つまり彼は事件の確証という見地からすれば証人であり、その解明という見地からすればムフティーであり、また判決の強制という見地からすれば権威なのです。

     また裁判官はイスラーム法判決を明確にした上でそれに強制力を与えますが、ムフティーの任務はイスラーム法判決の明確化のみに留まります。

    [1] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

    [2] 訳者注:つまり正常な理性を備えた成人であること。

    [3] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(23999)。イルワーウ・アル=ガリール(2622)参照。

    [4] サヒーフ・アル=ブハーリー(7376)、サヒーフ・ムスリム(2319)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [5] サヒーフ・アル=ブハーリー(7169)、サヒーフ・ムスリム(1713)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [6] 訳者注:イスラーム法における判決や見解を明らかにする専門の学者のことです。