いつでも出来るズィクル(唱念)
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ズィクル(唱念)3-いつでも出来るズィクル(唱念)
﴿كتاب الأذكار – الأذكار المطلقة ﴾
] 日本語– Japanese – ياباني [
ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー
翻訳 : サイード佐藤
校閲 : ファーティマ佐藤
2007 - 1428
﴿كتاب الأذكار – الأذكار المطلقة ﴾
« باللغة اليابانية »
محمد بن إبراهيم التويجري
ترجمة: سعيد ساتو
مراجعة: فاطمة ساتو
2007 - 1428
3-いつでも出来るズィクル(唱念)
● この章では、どんな折にでも唱えることの出来る、タスビーフ[1]やタハリール[2]、タハミード[3]やタクビール[4]やイスティグファール[5]などのイスラームの教えに則ったズィクルを集めました。
● アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「舌には軽いが、(審判の日の善行の)秤には重く、最も慈悲深いお方(アッラーのこと)が愛でられる2つの言葉(とはこれである):“偉大なるアッラーの崇高さよ。讃美と共に、アッラーの崇高さを称えます。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6])
● サムラ・ブン・ジュンドゥブ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーが最も愛でられる言葉は4つである:「スブハーナッラー」と「アル=ハムド・リッラー」と「ラー・イラーハ・イッラッラー」と「アッラーフ・アクバル」[7]その内のどれから始めても害はない。”」(ムスリムの伝承[8])
● アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“「スブハーナッラー」「アル=ハムド・リッラー」「ラー・イラーハ・イッラッラー」「アッラーフ・アクバル」と唱えることは、陽の目を見る全ての物よりも私にとって愛すべきものだ。”」(ムスリムの伝承[9])
● アブー・マーリク・アル=アシュアリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“清浄さはイーマーン[10]の半分である[11]。そして「アル=ハムド・リッラー」は(審判の日の善行の)秤を満たし、「スブハーナッラー」と「アル=ハムド・リッラー」は天地を充溢させる[12]。そしてサラー(礼拝)は光であり、サダカ(施し)は明証である。また忍耐は輝きであり、クルアーンは(審判の日)あなたにとっての証人、あるいはあなたに対しての証人にもなり得る。全ての者は行いに勤しみ、自らの魂を(アッラーと)取引する。それである者は(アッラーへの服従行為によって)自らの魂を(地獄の懲罰から)救い、またある者は(シャイターンや私欲に従って)自らの魂を滅ぼすのだ。”」(ムスリムの伝承[13])
● アブー・ザッル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(ある時)「最上の言葉は何ですか?」と訊かれて、こう言いました:「アッラーがその天使、あるいはしもべに対して選りすぐられたもの‐讃美と共に、アッラーの崇高さを称えます‐である。」(ムスリムの伝承[14])
● サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私たちがアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)のもとにいる時、彼は言いました:“毎日1000の善行を稼げないことがあろうか?”するとそこにいたある者が、こう訊ねました:“どうやって1000もの善行を稼ぐのですか?”(アッラーの使徒は)言いました:“タスビーフ[15]を100回言えば、1000の善行が得られよう。あるいは1000の罪が洗い流されよう。”」(ムスリムの伝承[16])
また別の伝承にはこうあります:「1000の善行が得られ、彼から1000の罪が消されよう。」(アフマドとアッ=ティルミズィーの伝承[17])
● ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“偉大なるアッラーの崇高さよ、あなたを讃美します”と1回言う者は、天国に彼のためのナツメヤシの木を1本植えられるであろう。」(アッ=ティルミズィーの伝承[18])
● ジュワイリーヤ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(とある)朝方ファジュル(夜明け前の礼拝)のために彼女の部屋を後にしましたが、その時彼女は礼拝の場にありました。そして日もすっかり昇った頃に彼が戻って来ると、彼女はまだ(同じ場所に)座ったままでした。彼は言いました:「“私が出て行った時と同じ状態のままだな。”彼女は言いました:“はい。”(預言者は)言いました:“私はあなたのもとを立ち去った後に、もし今日あなたが唱え続けていたものとそれを秤にかければ同等であるところの、4つの言葉を3回言ったのだ:「創造物の数だけ、(アッラー)御自身の御満悦を得るまで、玉座の装飾の重さだけ、そしてその御言葉の数だけ[19]、私はアッラーの崇高さを讃美し、かれを賞賛します。」”」(ムスリムの伝承[20])
● アブー・アイユーブ・アル=アンサーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“いかなる共同者もない、唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなし。そしてかれにこそ主権と全ての賛美は属し、かれこそは全能のお方である”と10回言った者は、4人のイスマーイールの子ら[21]を解放したようなものだ。」(ムスリムの伝承[22])
● サアド・ブン・アビー・ワッカース(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「あるベドウィンの男が、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとを訪れてこう言いました:“私が唱えるべき言葉を教えて下さい。”(預言者は)言いました:“「かれに並ぶ者無き唯一のお方アッラー以外に真に崇拝すべきものは無い。アッラーは本当に偉大である。アッラーに限りない感謝をします。いかなる欠陥や不完全性からも無縁の万有の主アッラーの崇高さよ。そして偉大かつ公正なアッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もなし。」と言うのだ。”すると男は言いました:“それは私の主のためのものですが、私自身のためにはどう唱えるべきでしょう?”(預言者は)言いました:“「アッラーよ、私をお赦しになり、私にご慈悲をかけ、私を正しく導き、私に糧をお恵み下さい。」と唱えるのだ。”」(ムスリムの伝承[23])
● アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“私はあなたと、あなたの天使たちと、あなたの玉座を運ぶ天使たちと、天地にある全ての存在の証言をもって、こう証言します:“あなたこそはアッラー、あなたの他に真に崇拝すべきいかなるものもないお方。あなたは唯一であり、あなたにはいかなる共有者もありません。そしてムハンマドはあなたのしもべであり、使徒です”と1回唱えた者は、アッラーによって地獄の業火から3分の1救われたに等しい。そしてそれを2回唱えた者は、アッラーによって地獄の業火から3分の2救われたに等しい。そしてそれを3回唱えた者は、アッラーによって地獄の業火から完全に救われたに等しい。」(アル=ハーキムの伝承[24])
● アブー・ザッル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「毎朝あなた方の身体の各関節には、サダカ(あらゆる形での慈善行為)が課せられる。全てのタスビーフ[25]は1つのサダカであり、全てのタハミード[26]は1つのサダカであり、全てのタハリール[27]は1つのサダカであり、全てのタクビール[28]も1つのサダカである。また善行を勧めることも1つのサダカであれば、悪行を禁じることも1つのサダカである。そしてドゥハー(午前)に礼拝する2ラクアは、それら全てに相当するのだ。」(ムスリムの伝承[29])
● アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“私はアッラーが主であることに、そしてイスラームが宗教であることに、そしてムハンマドが使徒であることに満足しました”と言った者には、天国が義務付けられるであろう。」(ムスリムとアブー・ダーウードの伝承[30])
● アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼にこう言いました:「“アブドッラー・ブン・カイスよ、天国の財宝の1つ(のありか)を教えてやろうか?” 私は言いました:“ぜひとも、アッラーの使徒よ。”(預言者は)言いました:“アッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もなし。”と唱えるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[31])
● アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がこう言うのを聞きました:“アッラーにかけて。私は毎日70回以上アッラーに罪の赦しを乞い、かれに悔悟する。”」(アル=ブハーリーの伝承[32])
● アル=アガッル・アル=ムザニー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「実に私の心は怠慢に襲われる[33]。そして私は1日100回アッラーに赦しを求めるのだ。」(ムスリムの伝承[34])
● アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「私のために1度祝福を祈る者は、アッラーによって10のご慈悲を与えられよう。[35]」(ムスリムの伝承[36])
● イブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、彼は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:「“かれの他に真に崇拝すべきいかなるものもない。永生され自存されるお方にお赦しを乞い、悔悟します”と3回言う者は、その罪を赦されるであろう。例え彼が敵軍に背を向けて逃亡した者であったとしても、である。」(アル=ハーキムの伝承[37])
[1] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[2] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。
[3] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムド・リッラー」という言葉に代表されます。
[4] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。
[5] 訳者注:罪の赦しを乞うこと。
[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6406)、サヒーフ・ムスリム(2694)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[7] 訳者注:各々の言葉の意味に関しては、上記の訳者注参照のこと。
[8] サヒーフ・ムスリム(2137)。
[9] サヒーフ・ムスリム(2695)。
[10] 訳者注:「タウヒードとイーマーン」の章「イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。
[11] 訳者注:イブン・ハジャルはここでいう「イーマーン」は、サラー(礼拝)のことであるという説を支持しています(イブン・ハジャル著サヒーフ・アル=ブハーリー解釈「ファトゥフ・アル=バーリー」参照)。
[12] 訳者注:その徳の価値が、それほど偉大であるということを示しているといわれます(イブン・ハジャル著サヒーフ・アル=ブハーリー解釈「ファトゥフ・アル=バーリー」参照)。
[13] サヒーフ・ムスリム(223)。
[14] サヒーフ・ムスリム(2731)。
[15] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[16] サヒーフ・ムスリム(2698)。
[17] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(1496)、スナン・アッ=ティルミズィー(3463)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2756)文章はアッ=ティルミズィーのもの。
[18] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3465)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2757)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(64)参照。
[19] 訳者注:つまりこれらに共通するものは、その数や量の限りなさです。
[20] サヒーフ・ムスリム(2726)。
[21] 訳者注:イスマーイールの子孫であるアラブの4人の奴隷のこと。
[22] サヒーフ・ムスリム(2693)。
[23] サヒーフ・ムスリム(2696)。
[24] 伝承経路は良好。ムスタドゥラク・アル=ハーキム(1920)。アル=アルナウートは、伝承経路は真正であると言っています。ザード・アル=マアード(2/373)参照。
[25] 訳者注:アッラーの完全無欠性、全ての物事から超越する崇高さを讃えること。「スブハーナッラー」という言葉による唱念に代表されます。
[26] 訳者注:アッラーにこそ全ての賛美があると唱念すること。「アル=ハムドリッラー」という言葉に代表されます。
[27] 訳者注:アッラーこそが唯一の主であり、真に崇拝すべき対象であることを唱念するための言葉。「ラー・イラーハ・イッラッラー」という言葉に代表されます。
[28] 訳者注:アッラーこそが最も偉大であり、それ以外のものは全て些少な存在であることを唱念するための言葉。「アッラーフ・アクバル」という言葉に代表されます。
[29] サヒーフ・ムスリム(720)。
[30] サヒーフ・ムスリム(1884)、スナン・アブー・ダーウード(1529)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(1353)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[31] サヒーフ・アル=ブハーリー(6384)、サヒーフ・ムスリム(2704)。文章はムスリムのもの。
[32] サヒーフ・アル=ブハーリー(6307)。
[33] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は非常に多くのズィクルやイバーダ(諸々の崇拝行為)などを自らに課し、またそこにおいて常日頃から厳しく自己監視していました。そこでそれらを不注意などから怠ってしまった場合には、それを自らの基準において罪と見なしました。
[34] サヒーフ・ムスリム(2702)。
[35] 訳者注:原語では「صلى الله عليه بها عشرا(アッラーがその者に対して10のサラーをする)」ですが、上記の訳はスフヤーン・アッ=サウリー他の解釈です。他にもアル=ブハーリーがそのサヒーフ集で引用しているように、アブー・アル=アーリヤの「アッラーが天使の1団のもとで、その者を褒め称えること」などという解釈もあります(マジュディー・アフマド著「ムスリムの砦」解釈参照)。
[36] サヒーフ・ムスリム(408)。
[37] 真正な伝承。ムスタドゥラク・アル=ハーキム(2550)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(2727)参照。