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預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が最良かつ最後の預言者であり使徒であるのですから、その共同体もまた最良かつ最後の共同体であると言えます。それでアッラーはこの共同体に、預言者と使徒の任務を与えられたのです。

    アッラーへのいざない

    4アッラーへのいざない

    ] 日本語 [

    الدعوة إلى الله

    4- الدعوة إلى الله

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    4-アッラーへのいざない

    ● 人間社会の宗教に対する必要性は、ちょうど肉体の魂に対する必要性のようなものです。そして魂を失った肉体が廃れるように、宗教を失った社会は現世と来世において廃れるのです。

    ● 諸使徒を遣わすというアッラーの恩恵:

     1-偉大かつ荘厳なるアッラーのご慈悲は、全てを包含します。そしてアッラーはそのしもべたちに対するご慈悲ゆえに、彼らの主であり創造主であり糧をお恵み下さるお方を彼らに知らせ、かつかれのお悦びになることを彼らに教え、またかれに何ものをも並べることなくかれを崇拝し服従することへと彼らをいざない、かれに従う者にはよき報奨があり反抗する者には懲罰があるということを伝えるために、諸使徒を遣わされ、諸啓典を下されたのです。-それで彼らの内のある者はアッラーがお導きになり、またある者には(真理からの)迷妄が運命付けられた。,(クルアーン16:36)

    2-そして人々の信仰心が弱まってシルク[1]に陥るたびに、アッラーは彼らをタウヒード[2]とかれのみへの崇拝へといざなう使徒たちを遣わされました。このようにして使徒は歴史上途絶えることなく遣わされてきたわけですが、全ての使徒はその民のみを対象として遣わされてきました。そしてそれは、最後の預言者であり使徒たちの長であるムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の出現によって終結を見ます。つまりアッラーは預言者性と使徒性を、彼を遣わすことで締めくくられたのです。

    ● アッラーはその使徒としてムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)をお選びになり、彼に導きと真理の教えを携えさせて全人類へと遣わされました。そしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアッラーのメッセージを人々に伝え、委ねられた信託を果たし、社会に教訓を与え、アッラーの道において奮闘しました。そしてそれ以後は破滅を定められた者以外に決して道を踏み誤ることのないような、夜も昼のように顕わな真理の光のもとにその共同体を導いたのです。

    ● 預言者と使徒の任務:

     預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が最良かつ最後の預言者であり使徒であるのですから、その共同体もまた最良かつ最後の共同体であると言えます。それでアッラーはこの共同体に、預言者と使徒の任務を与えられたのです。

     預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はアラビア半島という周知の場所において、23年間人々をアッラーへといざない続けました。その布教は彼の家族を始め、その近親、その部族、そしてマッカの民とその周辺の住民たち、アラブ人、全人類、とその時代において可能な限りの人々に隈なく及びました。彼は自らを全人類への使徒、万有への慈悲であることを明確にしつつ人々をいざない、そして人々はアッラーの宗教を次々に受け容れていったのです。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28)

     2-至高のアッラーは仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)があなたを遣わしたのは、全世界への慈悲ゆえに他ならない。,(クルアーン21:107)

    ● 導きの要因:

     人々は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の時代、様々な要因に影響されてイスラームを受け入れました。その内の主要なものを以下に挙げてみましょう:

     1-言葉による布教:例えば預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がアブー・バクルやハディージャやアリー(彼らにアッラーのご満悦あれ)らに対して行ったようなもので、彼らはそれによってイスラームを受容しました。

     2-学習によるもの:例えばウマル・ブン・アル=ハッターブ(彼にアッラーのご満悦あれ)はその妹ファーティマとその夫サイード・ブン・ザイド、そしてハッバーブ・ブン・アル=アルスが彼女の家でクルアーンを学習しているところに出くわし、そこでクルアーンを耳にし、また読むことで影響され、ついには導かれました。またウサイド・ブン・フダイルとサアド・ブン・ムアーズ(彼らにアッラーのご満悦あれ)も同様に、マディーナでムスアブ・ブン・ウマイル(彼にアッラーのご満悦あれ)が開いていた勉強会に参加することをきっかけに改宗しました。

     3-ムスリムたちが行っていたイバーダ(崇拝行為)に影響されて:例えばヒンド・ビント・ウトゥバはマッカ開放の年にムスリムたちがハラーム・モスク(マッカのカアバ神殿を擁するモスク)で礼拝するのを目にし、改宗しました。またスマーマ・ブン・アサール・アル=ハナフィー(彼にアッラーのご満悦あれ)は、ムスリムたちが預言者モスクで行う崇拝行為の様子に心打たれてイスラームを受け入れました。

     4-施しや気前の良さ:例えばサフワーン・ブン・ウマイヤとムアーウィヤ(彼らにアッラーのご満悦あれ)は、マッカ開放の年に預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から財を贈与されて改宗しました。またある者は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から谷一杯の羊の群れを贈与されて改宗し、その改宗によってその民全てがイスラームを受け入れるということもありました。

     5-高徳と善行と他者優先の精神、慰めの心や正直さ。至高のアッラーは仰られました: -そしてあなたはこの上ない高徳の持ち主である。,(クルアーン68:4)

    ● 人類への布教とイスラーム共同体の義務:

     偉大かつ荘厳なるアッラーはイスラーム共同体に、諸預言者と諸使徒の任務を与えるという栄誉を授けられました。その任務とはつまりアッラーへのいざないであり、アッラーは布教のための領域となる国々や人々を審判の日まで地上のあらゆる場所に存続させられるのです。

     預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はその教友たちの内に2つのことが達成されるまで、努力奮闘し続けました。そしてその2つのこととは:①彼らの人生において宗教を根付かせること、そして②人々の人生において宗教を根付かせること、です。また彼は、教友たちには審判の日の到来の時までイスラームが到達していない土地や民に対して布教の責任があることを教え、またムスリムはイバーダ(崇拝行為)という個人的目的を放棄することにおいて報いを受けると同様に、布教という集団的目的の放棄においても報いを受けるのだということを伝えました。そしてこれらのことが伝達され準備された後、偉大かつ荘厳なるアッラーは彼を御許に召されました。

     1-至高のアッラーは仰られました:-あなた方は善を命じて悪を禁じ、かつアッラーを信仰するところの、人類に出現した最高のウンマ(共同体)である。,(クルアーン3:110)

     2-至高のアッラーは仰られました:-そしてあなた方の内から、よきことへといざない、善を命じて悪を禁じるウンマを誕生させるのだ。彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン3:104)

     3-至高のアッラーは仰られました:-言え、「これこそは私と私に追従する者たちが、慧眼をもってアッラーへといざなうところの道である。崇高なるアッラーよ。私はシルクの徒ではないのだ。」,(クルアーン12:108)

     上記のクルアーンの句にある「慧眼(アル=バスィーラ)」は、3つのことに関連しています:つまり①いざなうに先駆けての知識、②いざなうにあたっての柔和さ、③いざない始めた後に受ける様々な苦難に対する忍耐、のことです。

    ● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは、彼自身から布教にあたっての手法や手段を学びました。そして彼以後の布教の任務を引き継ぎ、彼らの休息や欲求を犠牲にし、住居を後にし、世界に布教することに生命と財と時間を費やしたのです。こうして彼らは偉大かつ荘厳なるアッラーへといざなう者たちとなり、「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし」という言葉を掲げてシャーム地方(現在のシリア、パレスティナ周辺の土地)やイラク地方、エジプトや北アフリカ、ロシアや海の向こうなど、地の東西を駆け巡りました。

    ● そして彼らはそれらの国々を支配下にいれ、イスラームは広まりました。シルクの場所にタウヒードが、不信仰の場所に信仰が取って代わったのです。そして学者や布教者、イバーダに没頭する者や現世から遠ざかる者、義人やイスラームのために奮闘する者などが現れ、ムスリム世界は安定期に入りました。

    ● これがイスラームの最盛期と呼ばれるもので、彼らこそがアッラーがお悦びになられ、かつ彼らもかれからの恩寵という喜びを満喫する者たちです。そしてまた彼らこそは、アッラーとの契約を実現した者たちなのです。-そしてムハージルーンとアンサール[3]の先駆けた先人たちと、イフサーン[4]をもって彼らを踏襲した者たちは、アッラーがお悦びになられ、彼らもアッラーに満足する。そして(アッラーは)彼らのために、その下を河川が流れる天国をご用意された。彼らはそこに永遠に留まる。それこそはこの上ない偉大な勝利なのだ。,(クルアーン9:100)

    ● 宗教的行為の現世的行為に対する優先:

     預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)とその教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)は財や糧を稼ぐことや合法的な物事をたしなむことよりも、宗教における努力と布教を優先した結果、人生において財や物資の欠乏に晒されました。しかしその一方では信仰心と善行の増加を見、また真の高徳が発揮され、更には多くの国々が彼らの支配下に入ったのです。

     しかし現代の多くのムスリムは財や糧を稼ぐことを宗教における努力と布教に優先させた結果、財と物資においては豊かになったものの、信仰心とそれに沿った行いの欠乏が見られます。こうして彼らの人生には2つの要素が現れました:つまり①財を収集することに躍起になることと、②欲望の追求、です。

     こうして本来の目的が変化して現世的側面と肉体面が強くなり、宗教的側面と精神面が弱くなりました。また努力は宗教ではなく現世に対して払われるようになり、宗教はあたかもその後見人を探して人の周りを徘徊する孤児のような有様になってしまいました。というのも人々が現世と欲望に勤しむようになってしまったからです。

    ● 宗教の永続:

     しかしイスラームの教えは審判の日まで、永続します。そしてアッラーが全ての物事に終結をもたらされるその時まで、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の共同体の一派がそれを実践し、かつそこにおいて援助され続けるのです。彼らこそは「勝利する一派」と呼ばれる者たちです。

     ムアーウィヤ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーが全ての物事に終結をもたらされるその時まで、私の共同体の一派はアッラーの宗教を実践し、かつそこにおいて他の者たちに勝利し続けるであろう。彼らを棄て去る者も、袂を違える者も、彼らを害することはないのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5]

    ● 至高のアッラーへといざなうことの徳:

    信仰してイバーダ(崇拝行為)を行い、かつ人々を偉大かつ荘厳なるアッラーへといざなう者は、以下に挙げるような様々な物事によって栄誉を授けられるでしょう:

    ① アッラーは、例えビラールやサルマーン(彼らにアッラーのご満悦あれ)のように威信を備えてはいなかったような者にでも、威信を授けて下さいます。

    ② アッラーはその者のためにあらゆる宗教的行為に愛着心を湧かせられ、それを行い、またそこへと人々をいざなうようにさせられます。

    ③ アッラーは被造物の心の中に、その者に対する愛情を植えつけられます。

    ④ アッラーはその者を周囲の虚妄から守って下さいます。

    ⑤ アッラーはその御許からの見えない勝利でもって、その者をご援助されます。

    ⑥ アッラーはその者の祈りを叶えてご覧になり、また威厳をお授けになります。

    ⑦ その者を通じて導かれたり、布教したりするようになった者が手にする報奨と同様のものがその者にも与えられ、また宗教における正しさと更なる導きが授けられます。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーへといざない、善行を行い、「私はムスリム(アッラーに服従した者)である。」という者よりも、優れた言葉を語る者があろうか?,(クルアーン41:33)

     2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「誰かを(イスラームに)導いた者には、それに従った者が得る報奨と同様のものが与えられるであろう。そしてそれにも関わらず、(その追従した者が得る)報奨からは少しも差し引きされることはないのだ。また誰かを虚妄へと導いた者には、それに従った者が行う罪悪(に対する報い)と同様の罪悪(に対する報い)が与えられよう。そしてそれにも関わらず、(その追従した者が得る)罪悪(の報い)からは少しも差し引きされることはないのだ。」(ムスリムの伝承[6]

     3-サハル・ブン・サアド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はハイバルの役で、アリー・ブン・アビー・ターリブにこう言いました:「落ち着いて彼らとの戦いの場へと赴き、彼らをイスラームへといざなうのだ。そして彼らに、そこにおけるアッラーの権利として彼らに義務付けられるものを教えよ。アッラーにかけて。アッラーがあなたの手によって1人の者を導かれることは、赤ラクダ[7]を得ることよりもあなたにとってよいことなのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8]

    ● 人々の行為の種類:

     人々はその行為において、2種類に区分されます:

     つまり①現世において努力し、そこを去り行く者と、②来世のために努力し、死後にそれを見出す者です。そして後者こそが信仰者なのです。

     来世ゆえに努力する者は、更に2種類に分けられます:

     1-イバーダ(崇拝行為)のみに努力した者:その死後、彼の行いは以下の3種のもの以外は彼を益することがありません:①死後もその益が継続するようなサダカ(施し)、②その死後も人々を益し続けるような知識、③彼のために祈る清廉な子息。

     2-イバーダとアッラーへのいざないに勤しみ、アッラーの御言葉の興隆のために努力を惜しまなかった者:このような者の行いは、その死後も継続します。というのも彼が原因で導かれた者たちが得た報奨と同様のものが、審判の日まで彼のもとにも与えられることになるからです。

    至高のアッラーは仰られました:-あなた方はハッジにおける水の供給とハラーム・モスクの管理(を行う者)を、アッラーと最後の日を信仰し、アッラーの道において努力奮闘する者と同様であるとするのか?アッラーの御許で、彼らは同等ではない。アッラーは不正を行う民をお導きにはならないのだ。信仰し、ヒジュラ[9]し、その財と生命をもってアッラーの道に努力奮闘した者こそは、アッラーの御許においてこの上なく高い位階にあるのだ。彼らこそは勝利者である。彼らの主は彼らに、そのご慈悲とご満悦と、絶えることのない安寧で満たされた楽園の吉報をお告げになる。彼らはそこに永遠に留まるのだ。実にアッラーの御許にこそ、最高の報奨がある。,(クルアーン9:19-22)

    [1] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルクとシルクの種類」の項を参照のこと。

    [2] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「タウヒードとタウヒードの種類」の項を参照のこと。

    [3] 訳者注:「ムハージルーン」はマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者で、「アンサール」は彼らをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面から援助した信仰者たちのことです。

    [4] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「イフサーン」の項を参照のこと。

    [5] サヒーフ・アル=ブハーリー(71)、サヒーフ・ムスリム(1037)。文章はムスリムのもの。

    [6] サヒーフ・ムスリム(2674)。

    [7] 訳者注:当時のアラブにとって最も貴重な財産の1つと言われます。このように預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は折に触れて、来世の諸事象を現世のものを用いて分かりやすく説明しました。

    [8] サヒーフ・アル=ブハーリー(4210)、サヒーフ・ムスリム(2406)。文章はムスリムのもの。

    [9] 訳者注:「ヒジュラ」の元々の意味は何かを避けることを意味しますが、ここではマッカからマディーナへの宗教迫害を回避しての移住、いわゆる「聖遷」のこと。