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アッラーの道におけるジハードとはアッラーの御顔を求めて、不信仰者との戦いに力を尽くすことです

    アッラーの道におけるジハード

    1ジハードの意味と徳と法的位置づけ

    ﴿ الجهاد في سبيل الله 1- معنى الجهاد وحكمه وفضله

    ] 日本語– Japanese – ياباني [

    ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー

    翻訳 : サイード佐藤

    校閲 : ファーティマ佐藤

    2009 - 1430

    ﴿ الجهاد في سبيل الله 1- معنى الجهاد وحكمه وفضله

    « باللغة اليابانية »

    محمد بن إبراهيم التويجري

    ترجمة: سعيد ساتو

    مراجعة: فاطمة ساتو

    2009 - 1430

    アッラーの道におけるジハード

    1-ジハードの意味と徳と法的位置づけ

    ● アッラーの道におけるジハードとは:アッラーの御顔を求めて、不信仰者との戦いに力を尽くすことです。

    ● アッラーの道におけるムジャーヒド(ジハードに携わる者):

     アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに1人の男がやって来て、こう言いました:“戦利品のために戦う男と、名声のために戦う男、そして自らの地位を誇示するために戦う男。そのいずれの者が本当にアッラーの道にあるのでしょうか?"(預言者は)言いました:“アッラーの御言葉が最高位に君臨[1]すべく戦う者こそが、真にアッラーの道にある者である。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2]

    ● ジハードが定められたことに潜む英知:   

    1-アッラーはかれの道におけるジハードを、かれの御言葉が最高位に君臨すべく、そして全ての宗教がかれのものとなるべく定められました。またそれでもって人々を闇の中から光へと救い出し、イスラームを広め、正義を確立し、不正や腐敗を阻止し、ムスリムを守り、その敵の策謀に対抗し、またそれを根絶するために定められました。

    2-アッラーはそのしもべたちを試練にかけ、誠実な者とそうでない者、信仰者と偽信者が区別され、またムジャーヒドと忍耐強い者が明らかになるためにジハードを定められました。また不信仰者との戦いは彼らにイスラームを強要するためではなく、全ての宗教がアッラーのものとなり、彼らがイスラームの法規定を受容するためのものです。[3]

    3-アッラーの道におけるジハードは、天国へと続く扉の一つです。アッラーはそれによって人の心配や憂鬱をなくし、天国における高い地位を約束します。

    ● アッラーの道におけるジハードの目的:   

     イスラームにおける戦いの目的は、不信仰とシルク[4]の除去、そして人々を不信仰とシルクと無知という闇から、信仰と知識という光へと救出することです。また法を侵す者の根絶、様々な問題や悪事の解決、アッラーの御言葉の興隆、かれの教えの伝達、イスラームの布教と伝達を阻止する者の排除という目的もあります。これらの目的が戦闘抜きにして達成される場合、武力手段に訴えることはありません。

     またイスラームの教えが到達していない人々に関しては、彼らをイスラームへといざなわない限り、開戦することもありません。もしイスラームにいざなった後にそれを拒否した場合、そのジハードを指揮するイスラーム統治国家の長が彼らに、ジズヤ税(イスラーム法統治国家内に居住する非ムスリムが支払う税金)の支払いを要求します。そしてもし彼らがそれを拒んだ場合、アッラーにご援助を乞いつつ戦闘状態に入る事が出来ます。またそもそもイスラームの教えが到達している人々に関しては、開戦することが出来ます。[5]

     アッラーはアーダムの子孫‐つまり人類をその崇拝のために創造されたのであり、真理を頑迷に拒否して不信仰に固執したり、イスラームを一旦受け入れた後に棄教したり、または不正を犯したり、法を踏みにじったり、他人のイスラーム改宗を妨害したり、ムスリムに危害を加えたりしない限りは、人間の生命を侵害することはありません。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)自身、人と戦ったのはイスラームの布教のためだけでした。

    ● アッラーの道におけるジハードの法的位置づけ:

     アッラーの道におけるジハードは連帯義務[6]です。

    ● 以下の場合において、ジハードはその能力のある者にとって義務となります:

     1-戦場で敵軍と見えた場合。

     2-イスラーム法統治国家の長が国民全体に戦闘のための召集をかけた場合。

     3-国内に敵軍が襲来した場合。

     4-医師やパイロットなど、戦闘において不可欠な者である場合。

    至高のアッラーはこう仰られました:-身軽であろうと、重かろうと[7]、出陣せよ。そしてアッラーの道において、あなた方の財と生命をもって努力奮闘せよ。もしあなた方が(そのことによる報奨を)知っているのなら、それがあなた方にとって最善なのだ。,(クルアーン9:41)

    ● アッラーの道におけるジハードの様々な法規定:

     アッラーの道におけるジハードは、経済的・肉体的能力が許す場合、生命と財産をかけて行うことが義務となります。

     また経済的状況が許さない場合には、生命のみをもって行うことが義務となります。

     同様に身体的にジハードを行うことが出来ない状態にある場合には、財産のみをもって参加することが義務付けられます。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-そして迫害がなくなり、全ての宗教がアッラーのものになるまで彼らと戦え。しかしもし彼らが引き下がるのなら、罪悪者以外の者に対して敵対してはならない。,(クルアーン2:193)

     2-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなた方の財と生命と舌(言葉)をもって、シルクの徒に対して奮闘努力せよ。」(アブー・ダーウードとアン=ナサーイーの伝承[8]

    ● アッラーの道におけるジハードの徳:

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-信仰し、ヒジュラ[9]し、その財と生命をもってアッラーの道に努力奮闘した者こそは、アッラーの御許においてこの上なく高い位階にあるのだ。彼らこそは勝利者である。彼らの主は彼らに、そのご慈悲とご満悦と、絶えることのない安寧で満たされた楽園の吉報をお告げになる。,(クルアーン9:20-21)

     2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーの道におけるムジャーヒドは‐かれの道においてジハードする者を最もご存知になられるのはアッラーお1人であるが‐、サウム(斎戒、いわゆる断食)とサラー(礼拝)に明け暮れる者のようである。アッラーはかれの道におけるムジャーヒドが(その戦いにおいて)その天寿を全うして天国に入るか、あるいは報奨と戦利品を携えて無事帰還することを請け負われるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10]

     3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう訊ねられました:「“最善の行いとは何ですか?"(預言者は)言いました:“アッラーとその使徒を信仰することだ。"すると今度はこう訊ねられました:“その次は?"(預言者は)言いました:“アッラーの道におけるジハードである。"すると今度はこう訊ねられました:“その次は?"(預言者は)言いました:“正しく遂行されたハッジ(大巡礼)である。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11]

    ● アッラーの道におけるジハードの法的位置づけ:

    ザイド・ブン・ハーリド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーの道において戦う準備をしていた者は、実にそうしたのである。またアッラーの道において戦う者が残した家族の面倒を良い形で見る者もまた、実に戦いに出たことになるのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12]

    ● アッラーの道におけるジハードを放棄した者への懲罰:

     アブー・ウマーマ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「(イスラームのために)戦わなかった者、またはそのために準備しなかった者、あるいは戦う者が残した家族の面倒を良い形で見ることもなかった者は、審判の日の前にアッラーによって戦慄の衝撃を被るであろう。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承[13]

    ● アッラーの道におけるジハードが義務となるための条件:

     ①イスラーム、②正常な理性、③成年、④男性、⑤ジハードに参加することで重病などの害悪を蒙る恐れがないこと、⑥費用の確保。

    ● アッラーの道におけるジハードにおいて、両親の許可を請うこと:

     1-任意にジハードに参加しようとする者は、ムスリムである両親の許可を得なければなりません。というのもジハードはある特定の状況下にない限り連帯義務ですが、親孝行はいかなる状況下においても個人義務となるからです。但しジハードが義務となるような状況下にある場合、両親の許可がなくてもジハードに参加することになります。

     2-人にとって有益な任意の行為で、かつその両親にとって有害でないような類のもの‐例えば夜の任意のサラー(礼拝)、任意のサウム(斎戒、いわゆる断食)など‐は、特に両親の許可を必要とはしません。しかしもしその両親、あるいはその一方に害が及ぶような類のもの‐任意のジハードなど‐に関しては、両親にそれを禁じる権利があり、またそうされた者は彼らに従わなければなりません。というのも両親への服従は義務ですが、任意の行為は義務ではないからです。

    ● 国境防衛の法的位置づけ:

     ムスリムはイスラーム法統治国家の国境を、非ムスリムから防衛しなければなりません。その手段は状況によって異なり、条約や安全協定を通してであったり、あるいは兵器や兵力によるものであったりします。

    ● リバートとは:ムスリム軍の前線に常駐することです。

    ● アッラーの道におけるリバートの徳:

     サハル・ブン・サアド(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーの道におけるリバートは、現世とそこにある全てのものに優る…。」(アル=ブハーリーの伝承[14]

    ● アッラーの道において朝に夕に出征することの徳:

     アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「朝に夕にアッラーの道において出征することは、現世とそこにある全てのものに優る。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[15]

    [1] 訳者注:「アッラーの御言葉が最高位に君臨する」とは、イスラームへのいざない、アッラーのご満悦やかれからの報奨のみを求めてそうすることなどを指していると言われます(イブン・ハジャル著サヒーフ・アル=ブハーリー解釈「ファトゥフ・アル=バーリー」参照)。

    [2] サヒーフ・アル=ブハーリー(2810)、サヒーフ・ムスリム(1904)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [3] 訳者注:後述の「アッラーの道におけるジハードの目的」参照のこと。

    [4] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章のシルクの項を参照のこと。

    [5] 訳者注:これはイスラーム法治国家の長が、安全協定も停戦条約も結んでいない国家の民に対してとる立場です。イスラーム法治国家の長が不在である場合、あるいは存在していてもそのような安全保障協定を結んでいる国家に対して正当な理由もなくこのような行為に出ることは非合法です。「④ズィンミーの契約」及び「⑤停戦条約」の項を参照のこと。

    [6] 訳者注:共同体内の誰かがそれを行いさえすれば、共同体内の他の者の義務が免除されるような類の義務のこと。これに対し、サラー(礼拝)やサウム(斎戒、いわゆる断食)のような個人義務は個々に課されてきます。

    [7] 訳者注:「身軽であろうと、重かろうと」の意味の解釈には、「年寄りであろうと若者であろうと」「徒歩であろうと乗り物に乗っていようと」「元気であってもそうでなくても」「金持ちであっても貧しくても」「妻帯者でも独身でも」などの見解があります(イブン=ジャウズィー著クルアーン解釈「ザード・アル=マスィール」より)。

    [8] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(2504)、スナン・アン=ナサーイー(3096)。文章はアブー・ダーウードのもの。

    [9] 訳者注:「ヒジュラ」の元々の意味は何かを避けることを意味しますが、ここではマッカからマディーナへの宗教迫害を回避しての移住、いわゆる「聖遷」のこと。

    [10] サヒーフ・アル=ブハーリー(2787)、サヒーフ・ムスリム(1876)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [11] サヒーフ・アル=ブハーリー(2843)、サヒーフ・ムスリム(1895)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [12] サヒーフ・アル=ブハーリー(4497)、サヒーフ・ムスリム(92)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [13] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(2503)、スナン・イブン・マージャ(2762)。文章はイブン・マージャのもの。

    [14] サヒーフ・アル=ブハーリー(2892)。

    [15] サヒーフ・アル=ブハーリー(2792)、サヒーフ・ムスリム(1880)。