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金曜礼拝についての様々な徳やスンナ、法規定などについてご紹介します。

金曜礼拝

صلاة الجمعة

● 金曜礼拝が定められたことに関する英知:

崇高なるアッラーは、ムスリム同士が緊密な関係や親愛の念を強化するために、数多くの集まりの場を設けられました。

例えば5度の義務のサラーは地区の集まりであり、金曜礼拝と2つのイード[1]のサラーは町の集まりです。そしてハッジの季節において、マッカは各国の集まりとなります。これらは全て大小の差こそあれ、ムスリム同士の集まりなのです。

● 金曜礼拝の徳:

 アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“太陽の眼を見る日で最良のものは、金曜日である。アーダム(アダム)はその日創造され、その日に楽園に入れられ、その日そこから追放された。そして審判の日は金曜日以外には起こらない。"」(ムスリムの伝承[2]

● 金曜礼拝の法的位置づけ:

1-金曜礼拝は2ラクアからなります。

精神的に健常で定住している成人男性ムスリムにとって金曜礼拝に参加するのは義務ですが、以下の者には参加義務はありません。

① 女性

② 病人

③ 未成年

④ 旅行者

但し以上の者が金曜礼拝に参加しても問題はなく、その報奨を得ることが出来るでしょう。尚停留中の旅行者がアザーン(礼拝時間に入ったことを告げる呼びかけ)を耳にした場合、金曜礼拝の参加義務が発生します。

2-金曜礼拝はズフル(正午過ぎのサラー)の代わりとなります。ゆえに金曜礼拝に参加したら、その後にズフルを行ってはいけません。

また金曜礼拝の参加は遵守しなければなりません。正当な理由もないのに金曜礼拝に3回連続で参加しない者は、アッラーによってその心を塞がれてしまうでしょう。

● 金曜礼拝の時間:

金曜礼拝をするのに最善の時間は、正午直後からズフルの時間が終わるまでです。

● 金曜礼拝のアザーン:

金曜礼拝の1回目のアザーンと2回目のアザーンの間は、特に遠方のムスリムや睡眠中の者、金曜礼拝を忘れていた者などが準備を整え、金曜礼拝の作法やスンナを行ってサラーの場へと向かうのに十分な時間的間隔を空けるべきです。具体的には1時間ほどの間を空けるのがよいでしょう。

● 金曜礼拝のためにグスル[3]し、早い時間に出発すること:

1-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「金曜礼拝の日に大きな穢れ[4]の際にするようなグスルをし、それから(礼拝の場へ)第一の時間帯に赴く者は、あたかも雌ラクダ1頭をアッラーのために捧げたようなものである。また(礼拝の場へ)第二の時間帯に赴く者は、あたかも雌牛1頭をアッラーのために捧げたようなもので、(礼拝の場へ)第三の時間帯に赴く者は、あたかも角の生えた羊1頭をアッラーのために捧げたようなものである。また(礼拝の場へ)第四の時間帯に赴く者は、あたかも雌鳥1羽をアッラーのために捧げたようなものであり、(礼拝の場へ)第五の時間帯に赴く者は、あたかも卵1個をアッラーのために捧げたようなものである。そして(金曜礼拝の説教のために)イマームが現れると、天使たちがその訓戒の言葉に耳を傾け始めるのだ。」[5](アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6]

2-アウス・ブン・アウス・アッ=サカフィー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“金曜日にグスルをしてから早い時間に家を出、乗り物に乗らずに徒歩でサラーの場へと赴き、かつイマームの傍に座って(謹聴して)口を開かない者には、彼がモスクへと歩んだ一歩につき丸1年サウム(斎戒)とサラーをしたのと同様の報奨が与えられよう。"」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承[7]

● 金曜日のグスルをすべき時間:

金曜日のグスルをする時間は当日のファジュル(夜明け前)から、金曜礼拝が開始する直前までです。しかし金曜礼拝に出発する直前までグスルを遅らせた方が良いでしょう。

● 金曜礼拝の場へと赴くのに最適の時間:

1-金曜礼拝の場へと赴くのに推奨される時間は、太陽が昇ってからです。そして金曜礼拝の場へと赴くことが義務となるのは、イマームが現れて2回目のアザーンが唱えられた時です。

2-前述の「5つの時間帯」は、太陽が昇る時刻からイマームが登場するまでの時間を5で割ることで知ることが出来ます。

● 金曜日に旅行することに関して:

 金曜礼拝のための2回目のアザーン前であれば、金曜日に旅行に出発するのは構いません。

 しかし見知らぬ場所や危険な状況などにおいて自分の集団からはぐれるとか、車や船や飛行機などを逃してしまうなどの恐れによる必要性がない限り、2回目のアザーン後に旅行に出発することは(その金曜礼拝に参加し終えない限り)許されません。

 至高のアッラーはこう仰られました:-信仰する者たちよ、金曜日にサラーの呼びかけが成されたらアッラーの唱念に勤め、売買を(一旦)放棄するのだ。それこそがあなた方にとって最善なのである。もしあなた方がこのことを知っていたら(そうするのであるのに)。,(クルアーン62:9)

● 金曜礼拝に遅れて参加することに関して:

 金曜礼拝に遅れてやって来て、イマームと共に1ラクアだけ行うことが出来た者は、もう1ラクアを補ってサラーを完遂します。

 但しイマームと一緒に1ラクアも出来なかった場合は、そのサラーのニーヤ(意図)をズフルに変更し、4ラクア行うようにします。

● イマームはいつ金曜礼拝の場に登場すべきか?

 イマーム以外の者たちは金曜礼拝であれ、2つのイードのサラーであれ、あるいは雨乞いのサラーであれ、早めに出席するのがスンナです。

 一方イマームは金曜礼拝と雨乞いのサラーの際には説教開始時に、そして2つのイードの際にはサラーの時間に登場するようにします。

● 金曜日の説教:

 金曜日の説教は2つの部分に分け、そうすることが出来る者はアラビア語で行うことがスンナです。しかしもし聴衆がアラビア語を解さなければ、説教は彼らの言葉に翻訳されることが優先されます。そしてもしイマームがアラビア語に長じていなければ、彼らの言語で説教します。

 但しサラーは常にアラビア語で行わなければなりません。

● 旅行者は金曜礼拝に参加する義務があるか?

 もし旅行中に金曜礼拝が行われる町などを通過し、しかも金曜礼拝のためのアザーンを耳にし、しかも彼自身その町に立ち寄って一時停留したいような場合、金曜礼拝への参加義務が発生します。そしてもし彼自身がイマームとなり、説教しサラーを率いたとしても、その金曜礼拝は正しく有効なものです。

● 説教者の特徴:

ジャービル・ブン・アブドッラー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は説教の際にはその眼が赤くなり、声は大きくなり、いきり立ったものでした。そして“朝に夕に、あなた方のもとに敵が来襲するのだぞ。"と言う、軍の警告者のようになったものです。」(ムスリムの伝承[8])」

● 説教者が姿を現したときに行うこと:

1-イマームは、3段からなる説教壇の上から説教することがスンナです。そして金曜礼拝の場にやって来たら説教段に昇り、聴衆の方を向いてサラーム[9]します。それからアザーンをする者がそれを唱え終わるまで腰をかけ、それが終わったら立った状態で説教の第一部を開始します。それからまた座り、そして再び立った状態で説教の第二部を開始します。また何らかのハプニングが起こった場合、一時的に説教を中断し、その後再開することが出来ます。

2-イマームはメモなどを見ずに、短めの説教を行うことがスンナです。もしそれが困難なようであれば、メモなどに頼っても問題ありません。

● 説教の形:

イマームは時にその説教を「不可欠の説教」によって始めたり、またある時にはそれ以外の文句によって開始したりします。「不可欠の説教」とは以下のようなものです:

「実に全ての賛美はアッラーにこそあり。私たちはかれを讃え、かれのお力添えを乞い、かれに罪の赦しを乞います。私たちはアッラーに、私たち自身の悪と、私たちの悪行からのご加護を乞います。アッラーがお導きになられた者は、いかなる者も迷わせることが出来ません。そしてアッラーが迷わせられた者は、いかなる者も導くことが出来ません。私はいかなる共同者もない唯一のアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言します。

-信仰者たちよ、真のタクワー[10]でもってアッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄)から身を慎むのだ。そしてムスリムでなくして死んではならない。,(クルアーン3:102)

-人々よ、あなた方を1つの魂(アーダム)から創られ、次いでそれからその妻を創られ、そしてその2人から多くの男女を創り広げられたアッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄)から身を慎むのだ。そしてあなた方がかれにおいて同情し合うところのお方と、親戚の絆の断絶に対して身を慎め。アッラーは実に、あなた方の一部始終を見守られるお方である。,(クルアーン4:1)

-信仰者たちよ、アッラー(のお怒りと懲罰を招くような事柄)から身を慎み、真っ当な物言いをするのだ。そうすればアッラーはあなた方の行いを正され、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。そしてアッラーとその使徒に従う者は、偉大な勝利を手にしたのである。,(クルアーン33:70-71)

さて…(ここから説教の本題に入ります)」

そして時には、上記のクルアーンの句を省略しても構いません。また時には「さて…」と本題に入る前に、更に「最善の言葉はアッラーの啓典であり、最善の導きはムハンマドの導きである。そして最悪の事は(宗教における)新奇な物事であり、全ての(宗教における)新奇な物事はビドゥア[11]である。そして全てのビドゥアは迷妄であり、全ての迷妄の行き着く先は地獄の業火なのだ。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャとアン=ナサーイーの伝承[12]

● 金曜礼拝の説教のテーマ:

 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)とその教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)の説教は、以下のような話題を含んでいました:

① タウヒード[13]

② イーマーン[14]

③ 荘厳なるアッラーの属性

④ イーマーンの諸基礎

⑤ しもべに希望や愛慕の念を催させるような、至高のアッラーのみしるしの数々の言及

⑥ しもべに恐怖を催させるような、様々な困難や災難に満ちた日々の言及

⑦ アッラーのズィクル(念唱)とかれへの感謝の命令

⑧ 現世に対する警告

⑨ 死の想起

⑩ 天国と地獄の言及

⑪ アッラーとその使徒への服従命令とその反逆に対する警告

 それでイマームはアッラーとその美名と属性の偉大さ、敬愛の念を催させるようなその恩恵の数々などに言及し、かれに対する服従や感謝やズィクル(念唱)など、アッラーがお悦びになられる諸々のことを人々に命じます。こうして説教が終わると、しもべたちはアッラーを敬愛し、かつアッラーも彼らを寵愛されるような状態においてその場を去っていきます。また人々の心はイーマーンとアッラーに対する畏怖の念で満たされ、その心と体はかれに対するズィクルと服従、イバーダ(崇拝)へと新たな形で動き出すのです。

● 説教とサラーの長さ:

イマームは説教を短めに済ませ、サラーを長めに行うのがスンナです。

ジャービル・ブン・サムラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)と共にサラーしたものですが、彼のサラーも説教も適当な長さでした。」(ムスリムの伝承[15]

また説教においてクルアーンを読んだり、時にはカーフ章(第50章)をもって説教とすることも推奨されています。

● 座って説教に謹聴すること:

金曜礼拝に参加した者たちはイマームが現れて説教壇に昇ったら、彼の方に顔を向けることが勧められます。それがより聴衆にとって集中しやすく、かつイマームを鼓舞させ、彼ら自身を眠りから遠ざけさせることでしょう。

● 金曜礼拝の形:

金曜礼拝は2ラクアからなります。その中で読むことがスンナとなるクルアーンの組み合わせには、以下のようなものがあります:

① 1ラクア目では「金曜礼拝章(第62章)」、2ラクア目では「偽信者たちの章(第63章)」を読む。

② 1ラクア目では「金曜礼拝章(第62章)」、2ラクア目では「ガーシヤ章(第88章)」を読む。

③ 1ラクア目では「至高なる者章(第87章)」、2ラクア目では「ガーシヤ章(第88章)」を読む。

 またこれら以外の章句を読んでも構いません。2ラクア目が終了したら、タスリーム[16]します。

● 金曜礼拝におけるスンナのサラー:

金曜礼拝の後は、自宅で2ラクアすることがスンナですが、時には4ラクアのサラーをタスリームで区切って行うのもよいでしょう。

但しモスクでスンナのサラーをする場合は、4ラクアのサラーをタスリームで区切って行います。金曜礼拝の前に特別なスンナのサラーはありませんが、望むだけ任意のサラーを行うことに問題はありません。

● 説教中に話をすることの法的見解:

 説教中に話をすることは報奨を失い、罪を犯すことにつながります。ゆえにイマームが説教している間は、話をすることを禁じられます。

 但し説教中にイマームや、イマームが話しかける者に何らかの必要や福利があったり、サラーム[17]を返したり、くしゃみをした者に対してドゥアーしたりすることはその限りではありません。

 尚、説教の開始前と終了後に話をすることには何の問題もありません。またイマームが説教している時に、座っている人々を跨ぐようにして歩いてはなりません。

● ある町において金曜礼拝を行うことに関する法的見解:

イマームの許可がなくても、条件が整えばある町で金曜礼拝を行うことが可能です[18]。但しある町においていくつもの金曜礼拝を設けるのは、その必要性とイマームの許可がない限り許されません。また金曜礼拝は遊牧地域などではなく、町や村で行われます。

● イマームが説教を始めた後に来場した場合:

 イマームが既に説教を始めた後でその場にやって来た者は、2ラクアするまで腰を下ろしてはなりません。また説教中に眠気を催した者は、座る場所を変えるのがスンナです。

● 金曜日のグスル[19]に関する法的見解:

 1-金曜日のグスルはスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)です。そして、天使や人が嫌がるような悪臭などを洗い落とさなければなりません。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「金曜日のグスルは全ての成人男性ムスリムの義務である。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[20]

2-金曜日のグスルを終えたら、体を清潔にし、香水をつけ、自分の持っている最上の衣服を身に着けるのがスンナです。そして早い時間帯に自宅を後にし、モスクではイマームから近い場所に座り、イマームが来場するまで任意のサラーを行ったり、ドゥアー(祈願)やクルアーン読誦したりするようにします。

● 本来イマームが説教とサラーを行いますが、もし何らかの理由でそのどちらかを別の者が行っても問題ありません。

● 金曜日に読むのがスンナとされているもの:

金曜日の夜、あるいは昼間に「カハフ章(第18章)」を読むのはスンナです。金曜日にカハフ章を読んだ者は、次の金曜日までの1週間光を与えられると伝えられています。

● 金曜日のファジュルで読むのがスンナとされているもの:

イマームは金曜日のファジュルの1ラクア目に「サジダ章(第32章)」、2ラクア目には「人間章(第76章)」を読むのがスンナです。

● 説教中のドゥアーに関して:

イマームであれ彼に従う者であれ、説教中に両手を上げてドゥアーするのは許されません。

但しイマームが雨乞いのために両手を上げてドゥアーした時には、その他の者たちも同様にします。またイマームのドゥアーにタアミーン[21]する時には声を低めて唱えるのが、正しい形です。

● イマームは説教の最中にドゥアーすることが推奨されています。ドゥアーの内容としては、イスラームとムスリムの興隆やムスリムの安泰と勝利、ムスリム間の団結などについてであるのが望ましいでしょう。そしてイマームはドゥアーの際には両手を上げるのではなく、人差し指を立てて行うようにします。

● 願いが叶えられる特別な時間帯:

 金曜日のアスルの後、昼間の最後の時間には、願いが聞き届けられる可能性の高い時間帯が潜んでいます。ドゥアー(祈願)が叶えられる望みの強いその時間帯は短いので、ズィクル(念唱)とドゥアー(祈願)を多く行うようにします。

 アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は金曜日に言及してこう言いました:「その日、もしムスリムであるしもべがその時間帯にサラーし、アッラーに何かを乞えば、それが叶えられないことがないある時間帯がある。」クタイバは彼の伝承にこう付け足しています:「そして彼は手でもって、(その時間帯の)短さを示しました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[22]

● 金曜礼拝に参加しないことに関する法的見解:

金曜礼拝のサラーに参加出来なかった者は、4ラクアのズフルをその代替として行います。参加の理由が正当なものであれば彼に罪はありませんが、もしその理由が受け入れ難いものであったら、彼は金曜礼拝を軽視したことにより罪を犯したことになります。

アブー・アル=ジャアド(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“金曜礼拝を怠慢さから3回連続で放棄した者は、アッラーによってその心を塞がれてしまうであろう。"」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[23]

● イードの日が金曜日に重なった場合:

イードの日が金曜日に重なった場合、イードのサラーに参加することで金曜礼拝の参加義務はなくなります。そして金曜礼拝の代わりにズフルのサラーをします。

但しイマームはイードのサラーを済ませた後も、金曜礼拝の義務がなくなることはなく、同様にイードのサラーに参加しなかった者も金曜礼拝には参加しなければなりません。

尚イードのサラーを済ませた者でも金曜礼拝に参加すれば、ズフルのサラーをする必要はありません。



[1] 訳者注:「2つのイードの日」とは、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)のことです。

[2] サヒーフ・ムスリム(854)。

[3] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

[4] 訳者注:「大きな穢れ」とは、精液の発射、性交、月経や産後の出血などによって陥る状態のことです。

[5] 訳者注:5つの時間帯についての詳細は、この後に触れる「金曜礼拝に赴くのに最適の時間」の章を参照のこと。

[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(881)、サヒーフ・ムスリム(850)。文章はアル=ブハーリーのもの。

[7] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(345)、スナン・イブン・マージャ(1087)。文章はアブー・ダーウードのもの。

[8] サヒーフ・ムスリム(867)。

[9] 訳者注:イスラームにおける挨拶「アッ=サラーム・アライクム(あなた方に平安あれ)」のこと。詳しくは「クルアーンとスンナのフィクフ」の章の「3.礼儀作法」の項「4.挨拶の礼儀作法」を参照のこと。

[10] 訳者注:「タクワー」は「自らを守る」という動詞の名詞形。つまりアッラーを畏れ、またそのお怒りと懲罰につながるような行い‐つまりかれが命じられたことに反したり、あるいは禁じられた事柄を犯したりすることなど‐を避けることで、自らの身をアッラーのお怒りや懲罰から守ることを意味します。

[11] 訳者注:「ビドゥア」とは、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)やその教友、その次世代の者たちも行っていなかったような宗教に関する物事を新規に発明したり、実践したりすることです。あるいは法的典拠にそぐわないような物事のことで、預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道である「スンナ」の反対語です。

[12] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(2118)、スナン・イブン・マージャ(1892)、スナン・アン=ナサーイー(1578)。この伝承の基本はサヒーフ・ムスリム(867,868)に見受けられます。

[13] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「タウヒード」の項を参照のこと。

[14] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「イーマーン」の項を参照のこと。

[15] サヒーフ・ムスリム(866)。

[16] 訳者注:礼拝最後の動作で、右と左に振り向いて挨拶すること。

[17] 訳者注:イスラームにおける挨拶「アッ=サラーム・アライクム(あなた方に平安あれ)」のこと。詳しくは「クルアーンとスンナのフィクフ」の章の「3.礼儀作法」の項「4.挨拶の礼儀作法」を参照のこと。

[18] 訳者注:本来イスラーム法においては、金曜礼拝はイマームの命令によって行われるものです。

[19] 訳者注:心身の清浄化を意図した全身の洗浄。

[20] サヒーフ・アル=ブハーリー(858)、サヒーフ・ムスリム(846)。

[21] 訳者注:「アーミーン」という言葉を指します。キリスト教の普及によって日本人が誰でも知るようになった「アーメン」という言葉と同様に、「アッラーよ、(祈りに)お応え下さい。」という意味があります。

[22] サヒーフ・アル=ブハーリー(935)、サヒーフ・ムスリム(852)。文章はムスリムのもの。

[23] 良好かつ真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(1052)、スナン・アッ=ティルミズィー(500)。文章はアブー・ダーウードのもの。