サウム(斎戒)2‐サウムにおけるスンナ
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サウム(斎戒)2‐サウムにおけるスンナ
﴿ سنن الصيام ﴾
] 日本語– Japanese – ياباني [
ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー
翻訳 : サイード佐藤
校閲 : ファーティマ佐藤
2007 - 1428
﴿ سنن الصيام ﴾
« باللغة اليابانية »
محمد بن إبراهيم التويجري
ترجمة: سعيد ساتو
مراجعة: فاطمة ساتو
2007 - 1428
③サウム(斎戒、いわゆる断食)におけるスンナ[1]:
● サウムする者は、スフール(夜明け前に摂る食事)を摂ることがスンナです。スフールには祝福があり、ナツメヤシの実で摂ることがよいとされています。また時刻は遅めに摂ることが勧められています。スフールの祝福の1つとして、ムスリムがそれでもってアッラーへの服従とイバーダ(崇拝行為)において力強くあること、また罪の赦しを乞いドゥアー(祈願)するべき時間に睡眠に負けることなく起きていられること、皆と共にファジュル(夜明け前の礼拝)を礼拝できること、啓典の民のサウムの手法と違った手法をとることなどといったことがあります。
● またイフタール(日没直後のサウム解除の際の飲食)は早めに摂り、礼拝前にナツメヤシの実でサウムを解くのがスンナです。もしナツメヤシの実がなければ水で、そして水さえもなければ何でもよいから合法的な飲食物でイフタールを摂ります。もし何も口にする物がなければ、心の中でイフタールを意図するだけに留めます。
● サウムをすることにより体内に蓄積してある糖分が大量に失われ、血糖値は通常よりも下がり、疲れやだるさ、めまいなどの症状が現れます。このような中でナツメヤシの実の摂取は‐アッラーの思し召しと共に‐サウムによって失われた糖分や活力を取り戻してくれることでしょう。
● サウムする者にイフタールを振舞うことはスンナです。そうすることでイフタールを振舞う者は、サウムした者と寸分も変わりのない同等の報奨を得ることが出来るのです。
● サウムするものがイフタールの時に言う事:
サウムする者はイフタールの際、ズィクル(念唱)とドゥアー(祈願)を多く唱え、またそれを口にする時にアッラーの御名を唱えることがスンナです。そして食べ終わった時にはアッラーを讃え、こう言います:「喉の渇きは癒され、血管は潤い、そしてアッラーの思し召しならば(サウムの)報奨は確定しました。」(アブー・ダーウードの伝承[2])
● サウムする者もしない者も、スィワーク[3]することがスンナです。日中のいつでも行うことが出来ます。
● サウムする者は、誰かに悪口を言われたり喧嘩を仕掛けられたりしたら、こう言うのがスンナです:「私はサウム中です。私はサウム中です。」そしてもしその時立っていたら、座るようにします。
● サウムする者はズィクル(念唱)やクルアーン読誦、気前よくすること、サダカ(施しや善行)、貧しい者への慰安や罪の赦しを乞うこと、悔悟、タハッジュド[4]、親類縁者とのよき関係作り、病人の訪問などの善行を努めて多くすることがスンナです。
● ラマダーン月のイシャーゥ(夜の礼拝)の後には、タラーウィーフ(ラマダーン月の夜の特別集団礼拝)に参加することがスンナです。タラーウィーフはウィトル[5]も含めた11ラクア、あるいは13ラクアがスンナですが、それ以上に増やしても問題はありません。そしてイマーム(礼拝を率いる者)と共に最後まで礼拝した者は、キヤーム・アッ=ライル(夜の任意の礼拝)の報奨を得ることが出来るでしょう。
● イード・アル=フィトゥル(ラマダーン明けの祭日)の日は、イードの集団礼拝に出かける前にナツメヤシの実を奇数個食べることがスンナです。
● サウムをしている昼間に食事に招待されたら、「私はサウムをしています」と言うのがスンナです。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「サウムしているのに食事に招待された者は、こう言うのだ:“私はサウムをしています。"」(ムスリムの伝承[6])
● サウムをしていたか否かを問わず、誰かに食事をご馳走になったら、こう言うのがスンナです:「あなた方のもとでサウムをする者たちがサウムを解き、正しくよき人々があなた方の食べ物を食べ、天使たちがあなた方に対しアッラーの赦しを乞いますように。」(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承[7])
● ラマダーン月のウムラ(小巡礼)はスンナです。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「・・・ラマダーン月のウムラはハッジ(大巡礼)、あるいは私と共にするハッジ(の報奨)に相当する。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
● ラマダーン月最後の夜にウムラのためのイフラーム[9]に入ったものの、イードの日の夜になるまでウムラの諸行を始められなかった者は、ラマダーン月内にウムラをしたと見なされます。というのも考慮されるのは、行為の開始時間であるからです。
● ラマダーン月最後の10日間は、様々なイバーダ(崇拝行為)でもって努力し、夜通し家族を起こしておくことがスンナです。
● ライラト・アル=カドゥル[10]の徳:
ライラト・アル=カドゥルはその年の全ての物事が公正に決定され、生きるための糧や寿命やその年の様々な出来事などが定められる、非常に意義深い1晩のことです。
ライラト・アル=カドゥルはラマダーン月の最後の10日間のウィトル[11]の中で求められますが、最もその確率の高いものは27日の夜と言われています。
● ライラト・アル=カドゥルの特徴:
ライラト・アル=カドゥルは(そこにおいて得られる報奨において)1000の月、つまりおおよそ83年と4ヶ月という長期間にも優り、その晩は徹夜して正しい伝承で伝えられるドゥアー(祈願)の言葉を多く唱えることが勧められています。
1-至高のアッラーはこう仰られました:-実にわれら(アッラーのこと)はそれ(クルアーン)をライラト・アル=カドゥルに下した。そしてライラト・アル=カドゥルとは何か?ライラト・アル=カドゥルとは、1000の月にも優るもの。(その夜)天使たちとジブリールはその主のお許しと共に、(その年にアッラーがお定めになった)全ての諸事のため降臨する。その夜は暁まで、(いかなることからも)平安なのである。,(クルアーン97:1-5)
2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“ライラト・アル=カドゥルをイーマーンと報奨への望みをもってサラー(礼拝)する者は、それ以前に犯した罪を赦されるであろう。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12])
3-アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はこう言いました:“アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)よ、教えて下さい。もしライラト・アル=カドゥルがどの日であるか知ることが出来たなら、その晩私は何を唱えるべきでしょうか?"(アッラーの使徒は)言いました:“こう言うのだ:「アッラーよ、あなたは罪を帳消しになされる、寛大なお方。あなたは罪を免除されることを愛でられるお方。ゆえに私の罪を帳消しにして下さい。」"」(アッ=ティルミズィーとイブン・マージャの伝承[13])
[1] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[2] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(2357)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(2066)。
[3] 訳者注:歯磨き用に用いる、ある特定の種類の小枝のこと。
[4] 訳者注:深夜に任意で行う礼拝。普通は一旦寝た後に、そのために深夜に起き上がってする礼拝のことを言います。一方キヤーム・アッ=ライル(夜中にする任意のサラー)はもっと広い意味で用いられ、夜全般に渡って行われる任意の礼拝全てを指します。
[5] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。「クヌート」は、その最後のラクアのルクーゥ(お辞儀の形の礼)前か後に行われるドゥアー(祈願)。
[6] サヒーフ・ムスリム(1150)。
[7] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(3854)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(3263)、スナン・イブン・マージャ(1747)、サヒーフ・イブン・マージャ(1418)。文章はアブー・ダーウードのもの。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(1863)、サヒーフ・ムスリム(1256)。文章はムスリムのもの。
[9] 訳者注:巡礼の際の特別な状態のこと。普段は合法的ないくつかの行為が禁じられます。
[10] 訳者注:「ライラト・アル=カドゥル」はラマダーン月最後の10日間の内のどれか、あるいは最後の7日間のどれかであるなどという伝承があり、諸説あります。アッラーはこの夜、アッ=ラウフ・アル=マハフーズ(護られた碑板)から向こう1年分の諸事をお望みのままに定められますが、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)にクルアーンを啓示されるべく、それをアッ=ラウフ・アル=マハフーズから天の最下層にまで下されたのがこの夜のことでした。この夜は天を昇り降りする天使で世界中が満たされると言われます。クルアーン97章参照のこと。
[11] 訳者注:「ウィトル」とは、イシャー後からファジュル前までに行うのがスンナ・ムアッカダ(義務ではないが非常に推奨された行為)とされている、奇数回の形式をとる礼拝。「クヌート」は、その最後のラクアのルクーゥ(お辞儀の形の礼)前か後に行われるドゥアー(祈願)。
[12] サヒーフ・アル=ブハーリー(1901)、サヒーフ・ムスリム(760)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[13] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(3513)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(2789)、スナン・イブン・マージャ(3850)、サヒーフ・スナン・イブン・マージャ(3105)。文章はアッ=ティルミズィーのもの。