誓約
This subject translated into
カテゴリー
Full Description
11誓約
] 日本語 [
النذر
[اللغة اليابانية ]
ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري
翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة: فاطمة ساتو
海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1429 – 2008
11-誓約
● 誓約とは:責任能力のある者[1]が至高のアッラーに対し自発的に、それを示すような言葉を用いて、本来イスラーム法においては義務づけられてはいないような物事を自らに課すことです。
● 誓約の法的位置づけ:
誓約は自らにその遵守及び遂行能力があることを知っている者にとっては合法ですが、そうではない者にとっては忌避すべきことです。
誓約は余り好ましくない結果につながることが多く、それを遂行出来ない場合には罪を犯すことにもなります。
というのも誓約とは至高のアッラーに対し何かを条件付け、そして自分の願いが叶えばかれに感謝の印として何かを捧げるわけですが、そうでなければそれは捧げることなく終わります。しかしアッラーはしもべや彼らの服従などをそもそも必要ともしていない、崇高なるお方なのです。
● アッラー以外の何かに誓約することの法的位置づけ:
誓約はイバーダ(崇拝行為)の1種であり、至高のアッラー以外の何かに対してそのようなことをするのは禁じられています。というのも誓約はそれにおいて誓うものの偉大視と、その行為におけるそのものへのお近づきを意味するからです。ゆえにそれが墓廟であれ天使であれ、はたまた預言者やいわゆる聖者などであれ、アッラー以外のものにおいて誓約することは大シルク[2]と見なされます。そしてそのような誓約は無効であり、その内容の遵守は禁じられます。
● 誓約することが出来る者:
誓約が有効となるにはムスリムであろうと非ムスリムであろうと、正常な理性を備えた成人で、かつ自らの選択によってそれを行う者でなければなりません。
● 誓約の種類:
誓約は6種類に区分されます:
1-完全誓約:例を挙げるならば「私はもし~したら、自らに誓約を課す」などと言うことで、もしその誓った内容が実現したら贖罪が科されます。
2-固執の、あるいは憤怒の誓約:これは誓約に、その内容の禁止や推奨、あるいはその真意または虚偽性の強調などを意図した何らかの条件を加えたものです。例えば「もしあなたに話しかけたら、私は自らにハッジ(大巡礼)を課す」などと言うことで、この場合は誓約した内容を遵守するか、あるいは贖罪を行うかの選択を迫られます。
3-合法な物事における誓約:例を挙げるならば「私は衣服を着用する」とか「私は車に乗る」などと言うことで、誓約した内容を遵守するか、あるいは贖罪を行うかの選択を迫られます。
4-忌避すべき誓約:離婚の誓約などであり、誓約した内容を遵守することなく贖罪を行うことがスンナ[3]です。
5-罪の誓約:例を挙げるならば「私は何某を殺す」「私は酒を飲む」「私は姦淫する」「私はイード[4]にサウム(斎戒、いわゆる断食)をする」などと言うことです。
この類の誓約は有効ではなく、誓約した内容の遵守は禁じられ、自動的に贖罪が科されます。
預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「罪における誓約は存在しない。そしてその贖罪は宣誓の贖罪である。」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承[5])
6-服従行為における誓約:これにはサラー(礼拝)やサウム(斎戒、いわゆる断食)、ハッジやウムラ(小巡礼)、イァティカーフ(お篭り)など至高のアッラーへのお近づきを求めての行為のように非限定的なものである場合‐無論誓約した内容の遵守が義務付けられます‐もあれば、「もしアッラーが私の病を癒して下さったら、私は自らにサウムを課す」とか「もしアッラーが私に利益を与えて下さったら、私は自らにサダカ(施し)を課す」などという風に条件をつける場合もあります。後者の場合、つけた条件が実現すれば誓約した内容の遵守義務が発生します。誓約内容の遵守は1つのイバーダ(崇拝行為)であり、その遂行は義務となります。アッラーは信仰者を、誓約を遵守する者として次のように褒め称えられています:
1-至高のアッラーは、宗教に真摯な者の特徴についてこう仰られました:-(彼らは)誓約を守り、悪が散開する(審判の)日のことを恐れる。,(クルアーン76:7)
2-また至高のアッラーは仰られました:-あなた方が施したいかなるものも、またあなた方が誓ったいかなる誓約も、アッラーはご存知であられる。,(クルアーン2:270)
3-アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーに(何らかの形で)服従すると誓約した者は、その通りにせよ。しかしかれに(何らかの形で)逆らうことにおいて誓約した者は、そうするのではない。」(アル=ブハーリーの伝承[6])
● 何らかの服従行為をすることを誓約したものの、それを遂行しないまま他界してしまったような場合、遺族がそれを代行して行います。
● 誓約したことの遵守が不可能になってしまった場合:
何らかの服従行為に関して誓約したものの、その遂行が不可能になってしまったような場合には、宣誓の贖罪が科されます。
尚そもそもその行為の困難さを知りつつ何らかの誓約を行うことは、忌避すべきことです。
イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「それ(誓約)は、(既に運命によって定められたことを)何も変えはしない。ただ吝嗇者から少しずつ取り上げていくだけのことなのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7])
● 困難なことに関する誓約:
いかなる服従行為や行いであれ、自らに困難なことを課す類の誓約は忌避されます。
ゆえに「私は一晩中サラー(礼拝)に立つ」とか「毎日サウム(斎戒、いわゆる断食)する」とか「全財産を施す」とか「徒歩でハッジ、あるいはウムラをする」などといった本人が出来ないようなこと、あるいは非常な困難を伴うような誓約をしてしまった者は、その遵守義務を負いません。そしてその代わりに宣誓の贖罪を行います。
● 誓約した代償の用途:
何らかの服従行為において誓約した代償の用途は、誓約した本人がイスラーム法の許容範囲において意図したものとなります。それでもし代償としての肉などを貧者に施すことを意図していた場合、それを自分自身で利用したりしてはなりません。
しかしもしそれを自分の家族や仲間たちへの施しと意図していたのなら、誓約した本人もその一員と数えてその利用に加わることが出来ます。
● 服従行為と罪が混ざり合った類の誓約について:
服従行為と罪が混ざり合った類の誓約を行ってしまった者は、その内の罪に関する行為を放棄する一方で、服従行為の方のみを遂行します。
イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が説教している時、1人の男が立ちすくしていました。それで(預言者が)彼について尋ねると、(人々は)言いました:“アブー・イスラーイール(彼の名)は立ったまま座らず、日陰にも入らず、話もせず、サウム(斎戒、いわゆる断食)することを誓約したのです。”それで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“彼に話し、日陰に入り、また座るよう命じるのだ。そしてサウムについてはさせるがよい。”」(アル=ブハーリーの伝承[8])
● サウム(斎戒、いわゆる断食)の誓約をしたものの、それがイードの日にあたってしまった場合:[9]
イードの日のサウムはいかなる場合も禁じられています。それでその日に誓約のサウムがあたってしまった場合は、それを解いて贖罪を行います。
ズィヤード・ブン・ジュバイル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私がイブン・ウマルといる時、ある男が彼に尋ねてこう言いました:“私は命ある限り、毎火曜日‐あるいは毎水曜日‐にサウムすると誓約しました。しかしこの日が、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)に重なってしまったのです。”するとイブン・ウマルは言いました:“アッラーは誓約の遂行を命じられたが、イード・アル=アドゥハーの日のサウムは禁じられたのだ。”そして男が再び尋ねても、同様のことを言うだけで付け足したりはしませんでした。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10]
[1] 訳者注:つまり正常な理性を備えた成人であること。
[2] 訳者注:詳しくは「1-タウヒードとイーマーン」の章の「シルクとシルクの種類」の項を参照のこと。
[3] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。
[4] 訳者注:「イードの日」には2つあり、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)のことです。この日にはサウム(斎戒、いわゆる断食)が禁じられます。
[5] 真正な伝承。スナン・アブー・ダーウード(3290)、スナン・アッ=ティルミズィー(1524)。
[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6696)。
[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(6693)、サヒーフ・ムスリム(1639)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(6704)。
[9] 訳者注:前述した通り、イード・アル=フィトゥル(ラマダーン月の斎戒が明けた翌日、つまりシャウワール初日の祭日)と、イード・アル=アドゥハー(ズル=ヒッジャ月10日目の、いわゆる犠牲祭)の日はサウムが禁じられます。
[10] サヒーフ・アル=ブハーリー(6706)、サヒーフ・ムスリム(1139)。文章はアル=ブハーリーのもの。