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イスラームで禁じられない範囲において、妻は夫に従います。しかし妻が夫に対して不従順である場合、どのような手段を講じるべきかをここでは見て行きます。

    婚姻⑨

    妻の不従順とその改善法

    ] 日本語 [

    النكاح9: النشوز وعلاجه

    [اللغة اليابانية ]

    ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー

    محمد بن إبراهيم التويجري

    翻訳者: サイード佐藤

    ترجمة: سعيد ساتو

    校閲者: ファーティマ佐藤

    مراجعة: فاطمة ساتو

    海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)

    المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض

    1429 – 2008

    妻の不従順とその改善法

    ● 妻の不従順とは:夫に対する義務において、彼女が従順ではないことを意味します。

    ● 人の心というものは他人の権利をまっとうすることに関して積極的にはなれなくとも、自分の権利を要求することにかけては強欲になりがちです。このような心の状態を改善するには卑しい性格を根絶し、それを逆の物にとって換えなければなりません。つまりそれは自分の義務を遂行するにあたっては寛容で、かつ自分の権利に関しては例え十全に満たされなくともそれでよしとすることです。そうすることで、物事は改善するでしょう。

    ● 不従順な妻に対する処置:

    1-妻が性交などを拒否したり、あるいはそれに嫌々応じたりするなど不従順さの兆候が現れたりしたら、まず彼女を戒め、かつ偉大かつ荘厳なるアッラーへの畏怖の念を喚起します。そして懲戒の度合いを段階的に上げていきますが、もしそれでも応じない場合には寝床を共にすることを拒否したり、3日間を限度に会話を拒否したりします。

    そしてもしそれでも彼女が応じなければ、痛みを与えないような形で顔以外の部分を叩くことに問題はありません[1]。そして彼女が間違えた考えを改めたなら、過ぎたことに関する咎め立てはやめます。

    至高のアッラーは仰られました:-夫は妻の監督にあたる。アッラーは彼を彼女より上に位置づけられ、また彼は彼女のために自らの財から拠出するのであるから。そして善良な妻というものは(その夫を通じてアッラーに)よく従い、夫の不在においてもアッラー(の命)を遵守することにおいてよく守るのである。それであなた方が妻の不従順さを認めるのであれば、まずは彼女らを戒め、それから寝床を別にし、そして(それでも考えを改めないのなら)叩くのだ。そしてもし彼女らがあなた方に従ったのなら、それ以上の咎め立てをするのではない。実にアッラーは至高かつ偉大なお方であられる。,(クルアーン4:34)

    2-もし夫婦が互いに相手の不正を訴え、妻が不従順で横柄な態度を曲げることがなく、しかも2人の仲が改善されることのなかったような場合、統治者や裁判官[2]は両者のもとに後見人を派遣します。そして関係の改善か離婚か、また離婚させるのであれば有償か無償かなどといったことについて、最善の策と思われるものを彼らの間で決定させます。

    3-そして両者の後見人がそもそも不在であったり、あるいは合意に至らなかったりして両者の調停が失敗した場合、有償で離婚させるか無償で離婚させるかについて裁判官がイスラーム法に基づいて裁量を下します。

    至高のアッラーは仰られました:-そして両者の関係断絶を恐れるのならば、夫側の後見人と妻側の後見人を派遣するのだ。そしてもし両者が改善を望むのであれば、アッラーは彼らの間を取り持って下さるであろう。実にアッラーは全てご存知であり、あらゆることにご通暁されているのである。,(クルアーン4:35)

    4-もし妻が夫が自分を避けていたり、疎んじていたりするのを感じ取り、そして自分が離婚されることを恐れる場合、彼女は共にする就寝や扶養義務、衣服などの自らの権利の全てあるいは一部を夫から免除するという妥協策を取ることが出来ます。そして夫がそれを受け入れれば、そこには何の問題もありません。むしろ離婚や毎日続く諍いや争いよりは、このような形の夫婦関係の方が望ましいこともあるかもしれません。

    至高のアッラーはこう仰られました:-そしてもし妻がその夫に(夫としての権利の)怠慢や(自分からの)逃避を認めるのならば、互いの関係を取り持っても問題はない。むしろ互いの関係改善の方が(離婚や悪い関係の夫婦生活よりも)よいのである。心は根強い吝嗇に囚われているものなのだ。そして(妻に対して)よくしてやり、(不正から)身を慎むのであれば、アッラーはあなた方の成すことを尽くご存知であられ(、それらの善行にお報い下さ)る。,(クルアーン4:128)

    [1] 訳者注:サウジアラビアのイスラーム学者で心理学者でもあるアリー・ブン・ウマル・バーダハダフはこの件に関し、こう述べています:「イブン・アッバースは預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の伝承で言及されている “痛みを与えない形での打擲"という表現を、“スィワーク(歯磨き用の細い小枝)のようなもので叩くこと"であると解釈しています。そしてそのような物で打擲することの目的は決して威圧することなどではなく、あくまで指導と懲戒の意味であり、妻が越えてはならない一線を跨いでしまったことに対する注意を示すためのものなのです。」(http://audio.islamweb.net/audio/index.php?page=FullContent&audioid=116055より、一部略)

    いずれにせよ、アーイシャが伝える「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は妻のことも使用人のことも1度たりとも叩いたことはありませんでした。そしてアッラーの道か、あるいはアッラーの神聖さが侵された時の報復以外にはその手で何物をも叩くことはありませんでした」(アン=ナサーイー)という伝承にもある通り、優れた夫婦というものはそのような最悪の状態にならないように普段から最善の注意と予防策を講じているものです。

    [2] 訳者注:イスラーム法で統治する国家の長や、イスラーム法でもって裁く裁判官のことです。そのような機関が存在しない非ムスリム国や地域に居住するムスリムは、そこにおけるイスラーム的権威である学者やイマームなどに依拠することになります。