裁決の徳
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裁決
2.裁決の徳
] 日本語 [
القضاء
2- فضل القضاء
[اللغة اليابانية ]
ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー
محمد بن إبراهيم التويجري
翻訳者: サイード佐藤
ترجمة: سعيد ساتو
校閲者: ファーティマ佐藤
مراجعة: فاطمة ساتو
海外ダアワ啓発援助オフィス組織(リヤド市ラブワ地区)
المكتب التعاوني للدعوة وتوعية الجاليات بالربوة بمدينة الرياض
1429 – 2008
2-裁決の徳
● 裁決はそれを遂行するに足る能力を有し、かつ公正であることの出来る者にとって非常な徳のある行為です。また裁決は人々の間の調停や不正の除去、勧善懲悪や固定刑の実施、諸権利の保護などの分野を取り扱うことからも、アッラーからの報奨が期待される行為の内でも最善のものの1つです。また裁決は預言者たちの任務の1つでもありました。
そしてこれらの重要さゆえ、アッラーは例えそれが誤ったものであったとしても、裁決という行為に報奨をお与えになります。ゆえに裁判官は努力の結果誤った裁決を下してしまった場合、その誤りを看過されます。そしてもしその裁決が正しいものであった場合には、その倍の報奨を約束されます:つまり法的努力の報奨と、正しい裁決の報奨です。一方法的努力の末に誤った裁決をしてしまった場合には、その努力の報奨のみが与えられ、そのことについての罪は問われません。
1-アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「この2名以外に、嫉妬するに足る者はいない:つまりアッラーに財を与えられ、かつそれを真理において費やす権能を授けられた者。そしてアッラーに英知を授けられ、それでもって裁き、またそれを教授する者。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1])
2-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「公正な者たちは、偉大かつ荘厳なる慈悲深きお方(アッラーのこと)の右手にある光の壇上にいる。そしてかれ(アッラーのこと)の両手は、いずれも右手なのである。(彼らは)その裁決と家人と委任された物事に対し、正義を行っていたのである。」(ムスリムの伝承[2])
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「その御影の他には日陰となる場所がないその日(つまり審判の日)、至高のアッラーがその御影でもってかくまって下さる7人の者(は以下の者たちである):公正な指導者。アッラーへの崇拝の中で育った若者。心がモスクにきつく結びついた者。アッラーゆえに愛し合い、それゆえに集い、またそれゆえに別れる者たち。地位と美しさを備えた女性に誘惑されても、“私はアッラーを畏れます”と言う男。自分の右手が施す物をその左手に気づかれないほどの内密さでもってサダカ(施し)する者。独りアッラーを想い、両目を涙で溢れさせる者。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3])
4-アムル・ブン・アル=アース(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「裁き手が努力して判決を下し、そして正答を得るならば2つの報奨を得よう。また努力して判決を下したものの誤ってしまったのなら、それでも1つの報奨を得よう。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4])