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布教の努力に関して見てみると、崇高なるアッラーはそれをクルアーンの中で非常に詳しく説明されているのが分かります。クルアーンで諸預言者のイバーダ(崇拝行為)の様式やイブラーヒーム(彼にアッラーからの平安あれ)への祈願、アーダム(彼にアッラーからの平安あれ)のハッジ(大巡礼)の形やダーウード(彼にアッラーからの平安あれ)のサウム(斎戒、いわゆる断食)の方法などが詳細に説明されることはありませんでしたが、イスラームの教えを広めることに関してはとても詳しく述べられているのです。

    アッラーへのいざない

    5アッラーへといざなうことの義務

    ﴿ الدعوة إلى الله 5- وجوب الدعوة إلى الله

    ] 日本語– Japanese – ياباني [

    ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー

    翻訳 : サイード佐藤

    校閲 : ファーティマ佐藤

    2009 - 1430

    ﴿ الدعوة إلى الله 5- وجوب الدعوة إلى الله

    « باللغة اليابانية »

    محمد بن إبراهيم التويجري

    ترجمة: سعيد ساتو

    مراجعة: فاطمة ساتو

    2009 - 1430

    5-アッラーへといざなうことの義務

    ● アッラーへといざなうことの重要性:

     偉大かつ荘厳なるアッラーは全ての法規定についてクルアーンの中で一般的な形で言及され、そして預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がスンナ[1]の中でそれらを詳しく説明しました。

     しかし布教の努力に関して見てみると、崇高なるアッラーはそれをクルアーンの中で非常に詳しく説明されているのが分かります。クルアーンで諸預言者のイバーダ(崇拝行為)の様式やイブラーヒーム(彼にアッラーからの平安あれ)への祈願、アーダム(彼にアッラーからの平安あれ)のハッジ(大巡礼)の形やダーウード(彼にアッラーからの平安あれ)のサウム(斎戒、いわゆる断食)の方法などが詳細に説明されることはありませんでしたが、イスラームの教えを広めることに関してはとても詳しく述べられているのです。またクルアーンの中で崇拝熱心で敬虔な者の話は説明されていなくても、以前の預言者たちの布教の話は大変詳しく言及されています。

     また預言者ムーサー(彼にアッラーからの平安あれ)の説話は、クルアーンの29分の1にも及ぶ分量において詳細に説明されており、ヌーフやイブラーヒーム、ムーサー、イーサー、フード、サーリフ、シュアイブ、ルート、ユースフ(彼らにアッラーからの平安あれ)といった諸預言者・使徒の各々の民に対する布教に関する話も同様に詳しく取り上げられています。それはこのイスラーム共同体がアッラーへのいざないを担う責任を負っていると同時に、彼ら諸預言者をその手本とするためなのです。

    ● 布教最初の日:

     イスラームの歴史において、信仰心の基盤の建設とその強化、そして法規定の制定との間には長い時間的断絶が存在します。しかし信仰心の基盤の建設とその強化と布教の間には、そのような断絶は存在しませんでした。それというのもイスラーム共同体が諸預言者同様に、アッラーへのいざないを担う責任を負っているからなのです。

     また全ての預言者はその民に信仰心を説いた後に法規定を教示したものですが、偉大かつ荘厳なるアッラーは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を遣わされた際、その民に信仰心を説いた後にはイスラームの布教を教示するよう命じられました。それというのもイスラーム共同体はそれ自体が預言者たちのように、アッラーへのいざないと共に遣わされたからなのです。

    ● ムスリムの責任:

     偉大かつ荘厳なるアッラーはイスラーム共同体を他の共同体から選りすぐられ、その宗教と布教でもって栄誉高く高貴なものとされました。ゆえにイスラームの教えへのいざないは全てのムスリム男女の義務であり、全ムスリムは各々の知識と能力に応じてそれを行うのです。ゆえにアッラーへと人々をいざなうことはイスラーム共同体の責任であり、かつ必要性であるということも出来ます。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-言え、「これこそは私と私に追従する者たちが、慧眼をもってアッラーへといざなうところの道である。崇高なるアッラーよ。私はシルク[2]の徒ではないのだ。」,(クルアーン12:108)

     この御言葉は昼夜などの時間を特定されてもいなければ、また東西南北など場所も限定されてもいません。また対象がアラブ人かそうでないかなどという人種に関しても限定されていなければ、老若男女や白いか黒いかなどに関しても同様です。また対象が指導者であるか奴隷であるか、または金持ちか貧しい者かなどという階層の特定もされてはいません。

     ゆえにアッラーへのいざないは全ての人々に対する義務であり、またイスラームを受け入れた者もまたその義務を負います。というのも彼らは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の共同体に属し、かつ彼への追従者となったからなのです。

     2-至高のアッラーは仰られました:-これは彼らがそれでもって警告され、かれ(アッラー)こそが真に崇拝されるべき唯一の存在である事を知り、知識ある者たちが熟慮するための人々への伝達である。,(クルアーン14:52)

     3-アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は別れのハッジの際、イードの日に全ての信仰者‐アラブ人と非アラブ人、男性と女性、肌の白い者と黒い者、富める者と貧しい者、指導者と奴隷‐に向かってこう説教しました:「この場にいた者は、この場に居合わせなかった者に伝えるのだ。もしかするとこの場にいた者は、自分自身よりも見識高い者に伝達することになるかもしれないのだから。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]

     4-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「例えクルアーンの1句でもよいから、私から(のメッセージを人々に)伝えるのだ。そしてイスラエルの民から(伝え聞いたことを)話し伝えても、問題はない。しかし故意に私が言ってもいないことを伝える者には、その座を地獄の業火の中に占めさせるがよい。」(アル=ブハーリーの伝承[4]

     5-アッラーの御言葉を興隆させることにおいて努力を払い、それを広める者にはお導きがあるでしょう。崇高なるアッラーはこう仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)ゆえに努力奮闘する者は、必ずやわれらの(もとに到達する)道へと導いてやろう。アッラーは実によく服従する者たちと共にあるのだ。,(クルアーン29:69)

    ● 真にアッラーゆえに努力奮闘するということは:善行を完遂し、かれゆえに全てを捧げ、また死が訪れるその時まで教えを遵守し身を正すことです。

     正しい導きこそは、アッラーの宝庫の中でも最も高価なものです。アッラーはそれを数ある者たちの中でも、それを求めてかれの道において努力奮闘する選び抜かれた精鋭にしか、お与えにはなられません。彼らこそはアッラーがその導きに叶う者と見なされた者たちであり、また信仰者です。これこそは偉大かつ荘厳なるアッラーが、ムスリムに毎日の義務のサラー(礼拝)において17回それを求めることを命じられたゆえんなのです:-私たちを真っ直ぐな道へとお導き下さい。あなたのお怒りを受けた者たちや迷い去った者たちのそれではなく、あなたが恩恵を与えられた者たちの道へと。,(クルアーン1:6-7)

    ● アッラーの御言葉を興隆させるべく努力すること:

     アッラーの御言葉を興隆させるべく努力することには、3つの段階があります:

     1-不信仰者が導かれるべく、彼らに対して払われる努力:崇高なるアッラーは仰られました:-いや、彼ら(不信仰者たち)は彼(ムハンマド)がそれ(クルアーン)をでっち上げたなどと言っている。そうではなく、それこそはあなたの主からの真理なのだ。あなたは(それでもって、)あなた以前に警告者がまだ遣わされてはいない民が導かれるようにと、警告を与えるのである。,(クルアーン32:3)

     2-アッラーの命に従わないムスリムを従順な者とし、またかれに対して不注意な者をかれをよく念じる者とするために払われる努力:崇高なるアッラーは仰られました:-そしてあなた方の内から、よきことへといざない、善を命じて悪を禁じるウンマ(共同体)を誕生させるのだ。彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン3:104)

     3-正しく敬虔な者を他人をも正す者とし、またアッラーと来世をよく念じる者を他人に対してもそれを想起させる者とするために払われる努力:

    ① 崇高なるアッラーは仰られました:-時にかけて。実に人間は破滅の中にある。信仰し善行に励み、互いに真理を勧め合い、(そこにおいて)忍耐を勧め合う者たちの他は。,(クルアーン103:1-3)

    ② また至高のアッラーは仰られました:-ゆえに訓戒を与えよ。実にあなたは訓戒を与える者なのである。,(クルアーン88:21)

    ● 預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)は布教の義務とそこにおける徳を知ると、布教と教育の分野において競って努力しました。またアッラーの御言葉の興隆のために努力し、世界中にそれを広めたのです。彼らは英知とよき訓戒をもって、また人々への慈悲と同情の念を抱きつつアッラーへといざなったのです。その詳細はハディース(預言者の伝承)や預言者伝の中で垣間見ることが出来るでしょう。

     至高のアッラーは仰られました:-英知とよき訓戒をもって、あなたの主の道へといざなえ。そしてよき手法を用いて彼らと議論するのだ。実にあなたの主はその道を迷い外れた者のことも、よく導かれた者のこともよくご存知である。,(クルアーン16:125)

    ● アッラーへといざなうことの義務:

     アッラーへといざなうことは、その知識と能力に応じて各ムスリムの義務となります。

     1-知識を有する者は自らの力で真理を明らかにし、人々を真理への追従へといざないます。不信仰者の暴君フィルアウン(ファラオ)の徒党の内のある信仰者が、次のように言った通りです:-そして(フィルアウンの徒党の内で)信仰していた者が、こう言った:「民よ、私に従うのだ。そうすれば私はあなた方を正しく導くであろう。民よ、この現世での生活は(刹那的な)享楽に過ぎない。そして来世こそは永劫の住まいなのである。」,(クルアーン40:38-39)

    2-一方十分な知識を有さないムスリムは、人々を預言者や知識を有する者たちへの追従へといざないます。クルアーンのヤースィーン章において、アッラーが次のように言及されている者がそのよい例でしょう:-町外れから1人の男が急いでやって来ると、言った:「民よ、(アッラーから)遣わされた者たちに従え。あなた方から何の見返りも要求しない、導かれた(人々である)彼らに従うのだ」。,(クルアーン36:20-21)

    こうして全ての者はアッラーへと、そして何ものをも併置することなくアッラーのみを崇拝することへといざないます。

    知識を有する者は自ら人々に真理を説明し、そうでない者はアッラーの被造物の内でも最も知識の優れた者たちである学者への追従へといざなうのです。

    ● イスラーム共同体の役割:

     アッラーへといざなうことはイスラーム共同体全体の義務ですが、法規定に関する問題においての回答に関してはそれに関する知識を備えている者が行います。そして知識のない者は回答を求める者に対し、知識と理解、情報量においてアッラーが特別な恩恵を与えて下さった学者たちを紹介するようにします。何らかの善へと道を示してやる者は、その善を行った者が得る報奨と同様のものを得るのです。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは法規定の問題に関して挙ってその回答を求めたものですが、彼らの内でその回答を与えることが出来たのはムアーズやアリー、ザイド・ブン・サービトやイブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)らなど、ごくわずかでした。

     ゆえに誰もが法規定の問題に回答出来るわけではありません。しかし布教はそれとは違い、その知識に応じて‐それが例えクルアーンの1句だけであったとしても‐誰もが行うことが出来るのです。

     法規定の問題に回答を与えるのは、その専門家である学者たちです。崇高なるアッラーは仰られました:-もし知らないのなら、(知識を有する)訓戒の民に訪ねてみるがよい。,(クルアーン16:43)

     しかし布教や勧善懲悪は、その知識や能力や知恵に応じてイスラーム共同体の全ての者に課せられます。そして現実に預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは、サラー(礼拝)やザカー(義務の浄財)やサウム(斎戒、いわゆる断食)などの法規定が定められる以前に布教を行っていたのです。犠牲の精神とアッラーの御言葉を興隆させることにおける努力こそはイスラーム共同体の気質であり、行いはその量ではなく質によって判断されるのです。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-言え、「これこそは私と私に追従する者たちが、慧眼をもってアッラーへといざなうところの道である。崇高なるアッラーよ。私はシルクの徒ではないのだ。」,(クルアーン12:108)

     2-至高のアッラーは仰られました:-そして男女の信仰者は互いに同士である。(彼らは)善行を勧め悪を禁じ、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施す。そしてアッラーとその使徒に従う。彼らこそはアッラーがご慈悲をかけられる者たち。実にアッラーは強大かつ公正なお方である。,(クルアーン9:71)

    ● アッラーへといざなうことを放棄することに対する懲罰:

     1-イスラーム共同体の生活において最初に出現したものは、まず布教における努力、そして自己犠牲の精神、それから簡素な生活でした。しかしイスラームの敵は、これらの特質をイスラーム共同体の生活の中から消し去ることにおいて努力しました。こうして状況は反転し、ムスリムたちの努力と犠牲精神は現世へと向けられ始めました。そして人々は贅沢に身をやつし、また社会は姦淫やリバー[5]や飲酒を禁じたりはしてもアッラーへのいざないの放棄を禁じたりはしないような状態に陥ってしまいました。つまり本来のイスラーム共同体の形から遠のいてしまったのです。

     2-預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)及びその教友の時代、イバーダ(崇拝行為)と布教はイスラーム共同体の構成員全てのものでした。しかしその後イバーダはイスラーム共同体全体のものとして残存したものの、布教に関してはその内の一部の者たちのみに限られるものとなってしまったのです。そして後世のイスラーム共同体を正しい状態に維持するものは、以前のそれを正しい状態にしていたものだけなのです。

    ● 全ムスリム男女の義務:

     全ムスリム男女には、以下の2つのことが義務付けられます:

     1-第1の義務:宗教と、アッラーにいかなるものをも並べることなくイバーダ(崇拝行為)することに基づいた行動。そしてかれとかれの使徒への服従と、かれの命令を遂行しかれに禁じられたことを回避すること。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてアッラーを崇拝し、かれと共に何ものをも配してはならない。,(クルアーン4:36)

     2-また至高のアッラーはこう仰られました:-信仰者たちよ、アッラーとその使徒に従え。そして(使徒に下された啓示を)耳にしながらも、彼に背いてはならない。,(クルアーン8:20)

     2-第2の義務:アッラーへといざない、勧善懲悪を行うこと。

     1-至高のアッラーは仰られました:-そしてあなた方の内から、よきことへといざない、善を命じて悪を禁じるウンマ(イスラーム共同体)を誕生させるのだ。彼らこそは成功者なのである。,(クルアーン3:104)

     2-アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「例えクルアーンの1句でもよいから、私から(のメッセージを人々に)伝えるのだ。」(アル=ブハーリーの伝承[6]

     3-アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「悪事を目にした者は、その手をもってそれを矯正せよ。そしてもしそう出来ないのなら、舌でもって矯正せよ。そしてもしそれも出来ないのであれば、心でもって矯正するようにせよ。そしてそれは信仰心の(段階の中でも)最弱のそれである。」(ムスリムの伝承[7]

    ● 時間を利用することの理解:

     偉大かつ荘厳なるアッラーは信仰者の生命と財産と引き換えに報奨を与えて下さり、またそれによって天国を授けて下さいます。ゆえにムスリムはその時間を、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が過ごしたようなやり方で過ごすべきです。つまり偉大かつ荘厳なるアッラーに対する義務を全うし、またウドゥー[8]や食事、就寝の際などあらゆる状況において、毎日いかなる時もその主の命に服しているべきです。そしてその時間の一部を日々の糧の稼ぎや生活に当てるべきなのです。

     また人々がアッラーを崇拝しタウヒード[9]を達成するべく、その時間の多くをアッラーへのいざないに費やすべきです。そしてそれを終えたか、あるいはそれが首尾よく行かなかったりしたら、更なる知識を蓄えたり、あるいは宗教知識を他のムスリムへ教授したりするようにします。

     そしてそれが終わったり、あるいは教授や学習において上手く行かなかったりしたら、その時は他のムスリムを援助したり、その手伝いをしたり、あるいは善とタクワー[10]において互いに助け合ったりします。

     そしてそれも終わったり、あるいは上手く行かなったりしたような場合、スンナ[11]である任意のイバーダ(崇拝行為)やクルアーン朗誦、ズィクル(アッラーの唱念)などの善行やアッラーへのお近づきが望めるような行いに勤しむようにします。こうしてムスリムはいかなる状況においても、人々にとってより広範な利益を提供するのです。

    ● 布教の対象の種類と、その布教の方法:

     人は皆異なっています。そして以下に示すように、布教する対象の意識や行動の相違によって布教の方法も異なってきます:

     1-信仰心が弱く、また法規定にも疎い種類の対象:

     このような種類の者に対しては嫌がらせなどを受けても辛抱しつつ、十分な優しさと柔軟さをもって布教し啓蒙するようにします。また預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がある遊牧民の男に対してしたように、温和な指導を施すようにします。

     アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私たちがアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)とモスクにいる時、1人のベドウィンの男がやって来て、モスクの中で立小便をしました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の教友たちは言いました:“おい、やめろ、やめろ!"すると預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“中断させるのではない。放っておくのだ。"それで彼らは男が用を終えるまで待ったのです。

     それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は男を呼び、こう言いました:“モスクというものは、このような小便や汚れにはそぐわないのだ。モスクは偉大かつ荘厳なるアッラーを念じたり、サラー(礼拝)をしたり、クルアーンを読んだりする場所なのだぞ。"それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はある者に命じてバケツ1杯の水を持って来させ、それを(小便の場所に)撒かせました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12]

     2-信仰心は弱いが、法規定に関する知識を有するような種類の対象:

     このような種類の対象に布教する場合には、英知とよい訓戒をもって行わなければなりません。またその者の信仰心が増大して主に服従するよう、またその罪から悔悟するよう、アッラーに祈願するようにします。

     アブー・ウマーマ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「ある若者が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとにやって来て、こう言いました:“アッラーの使徒よ、私が姦淫することをお許し下さい。"すると人々がやって来て、“おい、やめないか!"と言いつつ、彼を押さえました。するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“続けさせよ。"それで若者は彼に近寄ると、腰を下ろしました。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“お前は自分の母親が姦淫することを望むのか?"若者は言いました:“いいえ、アッラーに誓って。アッラーが私の命をあなたのために捧げられますよう。"(預言者は)言いました:“同様に、他の人々も彼らの母親がそんなことをするのを望まないのだ。"

    そして続けて言いました:“それでは、お前は自分の娘が姦淫することを望むか?"若者は言いました:“いいえ、アッラーに誓って。アッラーが私の命をあなたのために捧げられますよう。"(預言者は)言いました:“同様に、他の人々も彼らの娘がそんなことをするのを望まないのだ。"

    (預言者は)続けて言いました:“それでは、お前は自分の(父方の)おばさんが姦淫することを望むか?"若者は言いました:“いいえ、アッラーに誓って。アッラーが私の命をあなたのために捧げられますよう。"(預言者は)言いました:“同様に、他の人々も彼らの(父方の)おばさんがそんなことをするのを望まないのだ。"

    (預言者は)続けて言いました:“それでは、お前は自分の(母方の)おばさんが姦淫することを望むか?"若者は言いました:“いいえ、アッラーに誓って。アッラーが私の命をあなたのために捧げられますよう。"(預言者は)言いました:“同様に、他の人々も彼らの(母方の)おばさんがそんなことをするのを望まないのだ。"

    それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼の頭に手を置いて、こう言いました:“アッラーよ、彼の罪をお赦し下さい。彼の心をお清め下さい。そして彼の貞操を堅固なものとして下さい。"

    そしてその後、その若者の心は不用意なことで揺らぐことはありませんでした。」(アフマドの伝承[13]

    3-信仰心は強いが、法規定には疎い種類の対象:

    このようなタイプには、直接法規定と罪を犯すことの危険性に関する説明と、その者が陥っている悪事の矯正に入ります。

    イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はある男の手に金の指輪がはめられているのを見て、それを抜き取ると放り投げました。そしてこう言いました:「“一体焚き火から燃えさしを取って、それを手につけるものがいようか?"そしてアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がそこを去った後、ある者が件の男にこう言いました:“(さっき放り投げられた)お前の指輪を拾って、何かに利用しろよ。"すると男は言いました:“いや。アッラーに誓って、私はそれを決して手にすまい。アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が放り投げた物なのだから。"」(ムスリムの伝承[14]

    4-信仰心が強く、かつ法規定に関する知識も備えたような種類の対象:

    このような者には何の言い訳の余地もなく、その過ちを力をもって正します。またその悪事において他人の悪い見本とならないようにするためにも、既述の者たちよりも厳しい態度でもって対します。

    十分な信仰心と知識を備えており、また正当な理由がないにも関わらず、タブークの役の際に出征の命に応じなかった3人がその良い例です。彼ら‐ヒラール・ブン・ウマイヤ、マラーラ・ブン・アッ=ラビーゥ、カアブ・ブン・マーリク(彼らにアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の命により、アッラーがお赦しになるまで人々から50夜に渡る関係断絶の憂き目に遭いました。この話の詳細はアル=ブハーリーとムスリムの真正伝承集に取り上げられています。[15]

    至高のアッラーは仰られました:-そして(戦役に出征せず)後に残った3人に対しても(、アッラーはお赦しになられた)。(彼らは村八分にされ、)大地はその広大さにも関わらず彼らには狭く感じられ、また心苦しい思いもした。そして彼らは、アッラー以外には避難する場所がないことを確信した。それからアッラーは彼らが(真に)悔悟するよう、彼らをお赦しになられた。実にアッラーはよくお赦しになられ、慈悲深いお方であられる。,(クルアーン9:118)

    5-信仰についても法規定についても無知な種類の対象:

    このような者に関してはまず「ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし)」という証言へといざない、またアッラーの美名と属性、かれの吉報と警告、かれのみしるしと恩恵について教え、その偉大さとご威力、そして創造と命令はアッラーのみに属することを説明します。そしてその心に信仰心が宿ったらサラー(礼拝)、ザカー(浄財)、という風に徐々に法規定について教えるようにします。

    イブン・アッバース(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はムアーズをイエメンに派遣し、こう言いました:「あなたは啓典の民のもとへ赴くのだ。それゆえまず最初に彼らを、アッラーのイバーダ(崇拝行為)へといざなうのだ。そしてもし彼らがアッラーを知ったら、今度はアッラーが彼らに昼夜5回のサラーを義務付けられたことを教えよ。そしてもし彼らがそれを行い始めたら、今度はアッラーが彼らに彼らの財産から、貧者に施されるべきザカー(浄財)の拠出を課せられたことを教えよ。そしてもし彼らがそれを拠出したのなら、それを受領するのだ。但し人々の高価な財産は避けるようにせよ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[16]

    ● アッラーへといざなう者の状況:

     偉大かつ荘厳なるアッラーは人々をかれへといざなう者の面倒をご覧になり、また順境と逆境によって彼を試練にかけられます。そして人々の内のある者は彼を支持し、援助するでしょうが、またある者は彼を放逐し、嘲笑するでしょう。

     アッラーへといざなう者には2つの状況が考えられます:

     つまりマディーナにおける預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のように人々から受け入れられる状況と、ターイフにおける彼のように人々から拒否される状況です。アッラーは時には布教者自身を育成され、また時には布教者をもって他の者たちを育成されるのです。

     しかし人々から受け入れられる状況こそは、布教においてより厳しく危険です。というのもそのような状況において、その者の心には自惚れが生じるかもしれないからです。また高い地位が与えられ、それを甘んじて受け入れることで‐アッラーがご慈悲をかけて下さらない限り‐破滅の道を辿ることもあります。これこそは布教者を宗教から放逐して現世や物質や高い地位の獲得などに勤しませようとする、シャイターンの策謀に他なりません。

     一方布教において人々から拒まれ、背かれる状態は布教者にとってより好ましく、強力なものと言えます。というのもそこにおいて布教者はアッラーへと向かい、かれへと前進し、かれを常に意識し、そうすることでアッラーからのご援助を授かるからです。それはちょうど預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がターイフの人々から散々な仕打ちにあって追い出されてその辛苦からアッラーに一心に祈った際、天使ジブリールと山の天使が援助者として彼のもとに遣わされ、それからマッカに無事に帰還することに成功し、またイスラーゥ[17]とミィラージュ[18]という恩恵を受け、マディーナへとヒジュラ[19]してイスラームの興隆を見たことによい例を見出すことが出来ます。

    ● ドゥアー(祈願)とダァワ(布教)の両立:

     アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は時にはシルク[20]の徒に対して災いを祈り、また時には彼らが正しく導かれるよう祈ったものでした。

     前者は彼らが強勢である時や彼らの迫害がひどくなった時であり、例えば塹壕の役[21]の際に彼らがムスリム軍がサラー(礼拝)するのを阻んだ時、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼らに対して災いが降りかかるのを祈りました。

     アリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「部族連合の日々(塹壕の役のこと)、 アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言いました:“アッラーが彼らの家と墓を炎で満たされるよう。彼らが私たちを多忙にしたせいで、私たちはアスル(午後遅くのサラー)を日没まで出来なかったのだから。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[22]

     一方後者は彼らのイスラーム改宗と、偉大かつ荘厳なるアッラーの宗教の下に彼らの心が1つになることをを望んだ場合のことでした。

    ● 布教する者の類型:

     布教する者たちにはいくつかの類型があります:

     1-偉大かつ荘厳なるアッラーへといざなう者たちの人格に影響され、自らも布教する者たち。しかしこのような者たちの中には、布教者のある者との間に問題が生じた際に布教を放棄し、それどころか布教に敵対するような場合があります。このようなことが起きるとしたら、それは布教の目的に何らかの欠陥があったことを意味しており、それゆえにアッラーがその者を布教から背かせられたのだと言えるでしょう。

     2-布教することに自らの問題の解決や、自らの願望の実現を見出したゆえに布教する者たち。しかしこのような者たちの中にはその状況が改善されたり、生活の羽振りが良くなってきた際には布教をそっちのけにしてしまう場合があります。このようなことが起きるとしたら、それは何らかの欠陥を伴う目的をもって布教にあたったことを意味しており、それゆえにアッラーがその者を布教から背かせられたのだと言えるでしょう。

     3-布教における善行や来世での報奨を望んで布教する者たち。しかしこのような者たちの中には報奨そのものが目的となってしまい、自分のこと以外には目が向かなくなってしまう場合もあります。このような者はもし布教以外でもっと楽に多くの報奨が得られるような善行を見つけたら、布教を放棄してしまうでしょう。

     4-布教が偉大かつ荘厳なるアッラーからの命であるゆえに布教する者たち。このような者たちは布教がアッラーの命であるゆえにイバーダ(崇拝行為)を行っているのであり、完全な目的を備えているといえます。アッラーはこのような者を堅固にされ、またご援助なされ、そして布教とその命を遂行することにおいてその能力を発揮させて下さるでしょう。そしてこれこそは最も栄誉高い位階なのです。

    [1] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の言動や、彼の認証したこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

    [2] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルクとその種類」の項を参照のこと。

    [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(67)、サヒーフ・ムスリム(1679)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [4] サヒーフ・アル=ブハーリー(3461)。

    [5] 訳者注:詳しくは「ムアーマラート」の章の「4.リバー」の項を参照のこと。

    [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(3461)。

    [7] サヒーフ・ムスリム(49)。

    [8] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。

    [9] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「タウヒードとその種類」の項を参照のこと。

    [10] 訳者注:「タクワー」は「自らを守る」という動詞の名詞形。つまりアッラーを畏れ、またそのお怒りと懲罰につながるような行い‐つまりかれが命じられたことに反したり、あるいは禁じられた事柄を犯したりすることなど‐を避けることで、自らの身をアッラーのお怒りや懲罰から守ることを意味します。

    [11] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。

    [12] サヒーフ・アル=ブハーリー(219)、サヒーフ・ムスリム(285)。文章はムスリムのもの。

    [13] 真正な伝承。ムスナド・アフマド(22564)。アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(370)参照のこと。

    [14] サヒーフ・ムスリム(2090)。

    [15] サヒーフ・アル=ブハーリー(4418)、サヒーフ・ムスリム(2769)。

    [16] サヒーフ・アル=ブハーリー(1458)、サヒーフ・ムスリム(19)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [17] 訳者注:預言者ムハンマドが、1晩でマッカからエルサレムまで移動した奇跡の「夜の旅」の事を指しています。

    [18] 訳者注:いわゆる昇天のこと。上記注にもある通り、預言者ムハンマドはマッカからエルサレムまで奇跡の「夜の旅」をし、そこから大天使ジブリールに伴われて天界を訪問しました。

    [19] 訳者注:ムスリムがマッカからマディーナへ、宗教迫害を回避して移住した出来事。いわゆる「聖遷」のこと。

    [20] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「シルクとその種類」の項を参照のこと。

    [21] 訳者注:「塹壕の役」とはヒジュラ暦5年に、マディーナの偽信者たちやユダヤ教徒クライザ部族の姦計と協力をもとにマッカ軍が部族連合を結成し、10000を超える兵をもってマディーナを包囲した出来事。物質的戦力において圧倒的に劣るマディーナ軍はペルシャ人サルマーンの提案した当時のアラブ社会では斬新的な塹壕という戦略をもって対峙し、アッラーの御力をもって敵軍を退却させました。

    [22] サヒーフ・アル=ブハーリー(2931)、サヒーフ・ムスリム(627)。文章はアル=ブハーリーのもの。