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信仰の6柱の1つである最後の日への信仰に関連して、清算と秤とは一体いかなるものか、また来世において人は何を問われるのか、その他来世における不信仰者の善行の行方などについて見ていきます。

    審判の日の裁定 - 清算と秤

    ﴿ فصل القضاء والحساب والميزان يوم القيامة

    ] 日本語– Japanese – ياباني [

    ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー

    翻訳 : サイード佐藤

    校閲 : ファーティマ佐藤

    2007 - 1428

    ﴿ فصل القضاء والحساب والميزان يوم القيامة

    « باللغة اليابانية »

    محمد بن إبراهيم التويجري

    ترجمة: سعيد ساتو

    مراجعة: فاطمة ساتو

    2007 - 1428

    審判の日の裁定

    ● 審判の日人々は主の御許へと召集されますが、その時彼らは状況の厳しさと余りの恐怖ゆえにこの上ない疲労に囚われます。彼らは主が彼らに判決をお下しになり、彼らの間を裁かれることを希求しますが、その待ち時間が延びれば伸びるほど彼らの苦悩は増幅します。そして預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のもとに赴き、主が彼らに裁定を下されるようとりなしを求めるのです。

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-この日彼らは喋ることもない。彼らには言い訳をする許しすら与えられない。その日、(真理を)嘘としていた者たちに災いあれ。(アッラーは仰る:)「これが裁決の日。われら(アッラーのこと)はあなた方とあなた方以前の者たちを集結させた。もしあなた方に(この状況を打開する)策略があるのなら、そうしてみよ。」,(クルアーン77:35-39)

    2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によればアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「私は審判の日、人類の長である。なぜか?アッラーは審判の日、1つの台地に最初の者たちと最後の者たち全てを結集される。彼らは呼ぶ者の呼び声を聞き、全てを捉える視者(アッラーのこと)の視覚の下にある。そして太陽が接近し、人々は耐え切れず抵抗し難いほどの苦悩と苦痛に囚われる。そして彼らは互いに言う:“あなた方はどんな状況にあるのか分からないのか?何という災難に遭っているのか分からないのか?誰か主のとりなしをしてくれる者がいないか考えないのか?”

    それから彼らは互いに言う:“アーダム(アダム)の所へ行くのだ。”そしてアーダムのもとに赴き、言う:“アーダムよ、人類の父祖よ、アッラーがあなたをその御手でもってお創りになられ、その精霊をして魂を吹き込まれたお方。また(アッラーが)天使たちを、あなたの前でサジダ(平伏礼)するよう命じられたお方。主にとりなして下さい。私たちの置かれている状況がお分かりでしょう?私たちがどのような境遇に陥っているかお分かりでしょう?”

    するとアーダムは言う:“私の主はこれまでになかったほどにお怒りになられている。そして今後もこれほどお怒りになられることはないだろう。私は(禁断の実がなる)木を禁じられたのも関わらず、その命に背いてしまったのだ。ああ、私こそとりなしが必要だというのに。誰か他の者の所に行くのだ。”

    そして彼らはヌーフ(ノア)の所へ赴く。そしてイブラーヒーム(アブラハム)、ムーサー(モーゼ)、イーサー(イエス)と巡っていくが、皆彼らの請願を断る。彼らは皆こう言うのだ:“私の主はこれまでになかったほどにお怒りになられている。そして今後もこれほどお怒りになられることはないだろう。ああ、私こそとりなしが必要だというのに。”

    そしてイーサーは言う:“誰か他の者の所へ行くのだ。ムハンマドのもとに行け。”効して彼らはムハンマドの所に赴き、こう言う:“ムハンマドよ、アッラーの使徒、最後の預言者よ、以前の罪も以後の罪もアッラーがお赦しになられたお方よ。主にとりなして下さい。私たちの置かれている状況がお分かりでしょう?私たちがどのような境遇に陥っているかお分かりでしょう?”

    (ここから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉)すると私は彼らを後にし、(アッラーの)玉座のもとに赴く。そして主の御前にひれ伏す。それからアッラーは、私以前の者たちには授けて下さらなかったようなかれへの讃美と賞讃の方法を、私に授けて下さる。そしてこう仰るのだ:“ムハンマドよ、顔を上げよ。頼み事があるなら言うのだ、それは叶えられよう。とりなしがあるのなら、それは受理されよう。”そして私は顔を上げ、こう言う:“主よ、私の民を。私の民を(お救い下さい)!”

    するとアッラーは仰られる:“ムハンマドよ、あなたの民の内で清算のない者を、天国の諸門の内の最右翼の門から入れるのだ。彼らはそれ以外の門から(天国に)入る者たちと共になる。”実にムハンマドの魂がその御手に委ねられているお方に誓って。天国の1つの門から別の門までの距離は、マッカからハジャル、あるいはマッカからブスラー[1]ほどもあるのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[2]

    ● それからアッラーは人々の裁定を下されます。(人々の現世での行いが記された)帳簿が持ってこられ、秤の上に載せられます。こうして人々は清算を受けますが、その帳簿を右手に渡された者は天国へ、左手に渡された者は地獄に行くことになります:

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたは、天使たちがその主を讃え賞讃しながら(アッラーの)玉座の周りを飛翔するのを見よう。そして真理によって(しもべたちの)裁決が下され、「万有の主アッラーに全ての賞讃あれ。」という言葉が(天国に入れられた者からも、地獄に入れられた者からも)上がるのである。,(クルアーン39:75)

    2-アブー・サイード・アル=フドゥリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私たちは言いました:“アッラーの使徒よ、私たちは審判の日アッラーにお目にかかるのですか?”(預言者は)言いました:“雲1つない大空に太陽と月を見るのは困難であろうか?”私たちは言いました:“いいえ。” (預言者は)言いました:“それゆえその日、それら(雲1つない大空の太陽と月)を見ることに困難を覚える者以外は、あなた方の主にお目にかかるのに困難を感じないのである。”それから言いました:“呼ぶ者がこう呼びかける:「全ての者に、(彼らが現世で)崇めていたものの所へ赴かせよ。」それで十字架の徒は十字架と共に、偶像の徒は偶像と共に、全てを崇めていた者たちはそれら全てと共にゆくことになる。そしてついには敬虔な者であれ放埓な者であれ、また原書の啓典の民であれ、アッラーを崇拝していた者たちしかそこには残らないことになるのだ。

    それから彼ら(アッラー以外のものを拝していた者たち)は地獄の業火へと連れて行かれ、それは彼らにとってまるで蜃気楼のように映る。そしてユダヤ教徒たちにはこう言われる:「あなた方は何を崇めていた?」彼らは言う:「アッラーの御子ウザイルを崇めていました。」するとこう言われる:「嘘をつけ。アッラーには配偶者も御子もない。あなた方は(今日)何を欲するのか?」彼らは言う:「水をお与え下さい。」すると言われる:「飲むのだ。」そして彼らは地獄の業火の中へと落ちてゆく。

    それからキリスト教徒たちにはこう言われる:「あなた方は何を崇めていた?」彼らは言う:「アッラーの御子イーサー(イエス)を崇めていました。」するとこう言われる:「嘘をつけ。アッラーには配偶者も御子もない。あなた方は(今日)何を欲するのか?」彼らは言う:「水をお与え下さい。」すると言われる:「飲むのだ。」そして彼らは地獄の業火の中へと落ちてゆく。

    そして最後に、敬虔な者であろうと放埓な者であろうと、アッラーを崇拝していた者たちが残る。彼らにはこう言われる:「人々は行ってしまったのに、どうしてここに留まっている?」彼らは言う:「私たちは彼らと決別しました。私たちは今日、私たち自身よりもかれを必要としているのです。そして私たちは“皆(現世で)崇めていたものの所へ行くのだ。”という呼び声を聞きました。それで私たちは私たちの主を待っているのです。」

    すると全てを制される強大なお方(アッラーのこと)は、初めに彼らが目にしたのとは別の姿で彼らのもとへご来臨なされる。そして言うのだ:「われこそがあなた方の主である。」すると彼らは言う:「あなたこそ私たちの主です。(この日)あなたに語りかけることが出来るのは預言者たちのみです。」

    するとアッラーは仰られる:「あなた方とかれ(アッラーのこと)との間には、あなた方がかれを知ることの出来るみしるしがあるのか?」彼らは言う:「下肢です。」すると(アッラーは)下肢を露わになされ、全ての信仰者はかれに向かって平伏す。しかし(現世において)虚栄心や偽りからアッラーの御前で平伏していた者たちは平伏そうとするが、その背中が1枚の板のように真っ直ぐに固まってしまい、そうすることが出来ない。

    それから彼らは、地獄の真ん中に架けられているスィラート(地獄の架け橋)へと連れてこられる。”私たち(伝承者を含む教友たちのこと)は言いました:“アッラーの使徒よ、スィラート(地獄の架け橋)とは何ですか?” (預言者は)言いました:“それは足元が定まらず滑りやすい所で、その上には鉄鉤や鉄串、ナジュド地方で“サァダーン”と呼ばれている植物のそれのような湾曲した鋭いとげなどがある。信仰者はそこを瞬きする間に、あるいは雷光や風(のように速く、また)極上の馬や乗り物用の家畜に乗るように(それ相応の速さで)渡る。ある者は無事にそこを渡りきり、ある者は怪我をしながら渡り、またある者はそこから地獄の業火へと転落する。そして最後に渡る者はそこから飛ばされて落下する。こうしてあなた方はこの日(現世ではなかったほどに、あなた方があなた方の同胞に対して行う)救助の懇願において、強力で全てを制されるお方(アッラーのこと)の御前で本当の信仰者であるかどうか見極められるのだ。

    そして彼らは仲間たちの内で自分たちが助かったのを見ると、言う:「私たちの主よ、私たちの同胞を(お助け下さい)。彼らは私たちと共にサラー(礼拝)し、サウム(斎戒)し、私たちと共に行動していたのです。」すると至高のアッラーは仰られます:「(彼らのもとに)行くのだ。そしてその心に1ディーナールほどの重さでも信仰心のある者がいれば、救い出してやるのだ。そしてアッラーは彼らが業火に晒されるのを禁じられる。」

    そして彼らが(同胞のもとへ)行くと、ある者は業火の中に足まで浸かり、ある者はふくらはぎの中ほどまで使っている。そして彼らの知っている者たちをそこから救い出す。

    それから(彼らがアッラーの御許へ)戻ると、かれは仰られる:「行くのだ。そしてその心に半ディーナールほどの重さでも信仰心のある者がいれば、救い出してやるのだ。」そして彼らは彼らの知っている者たちをそこから救い出す。

    それから(彼らがアッラーの御許へ)戻ると、かれは仰られる:「行くのだ。そしてその心に小蟻1匹ほどの重さでも信仰心のある者がいれば、救い出してやるのだ。」そして彼らは彼らの知っている者たちをそこから救い出す。”」

    アブー・サイードは言った:「このことを信じないと言うのであれば、(クルアーンのこの句を)読んでみよ: -実にアッラーは、小蟻1匹ほどの重さの不正も行われることがない。(かれは)たった1つの善行でさえも、それを何倍にも増加させられるのだ。,

    (ここからは再び預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の言葉)“それから預言者と天使たちと信仰者たちがとりなしをする。すると全てを制される強大なお方(アッラーのこと)は仰られる:「残るはわがとりなしである。」そしてかれは業火の中に御手を入れられ、そこから一掴みして既に黒焦げになってしまった人々をそこから救い出される。それから彼らは天国の入り口にある河に入れられ、こう言われる:「(これは)生命の水である。」すると彼らはその河の両岸から、まるで河がもたらす肥沃な土から種が芽を出すように生え出てくる。あなた方が岩や木陰で見たことがあるように、太陽の側を向いているものは緑色に、陰の方にあるものは白くなるのだ。

    そして彼らは首に印をつけられ、まるで真珠のように生え出てくる。そして天国に入るが、天国の住人たちは(彼らを見て)言う:「彼らは最も慈悲深いお方が解放された者たちだ。そして彼らの行っていたところのものや善行の有無を問われないままに、アッラーが天国に入れて下さった者たちだ。」そこでアッラーは仰られる:「あなた方にはあなた方の目にしたものと、そしてそれと同様のものをもう1つ与えよう。」”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]

    清算と秤

    ● 清算とは:アッラーがそのしもべたちを御前に侍らせ、彼らの現世での行いをお告げになると共に、それに応じた報いをお与えになることです。その際に1つの善行はその10倍から700倍、更にそれ以上にまで倍増させた形で計算され、一方1つの悪行はそのまま1つとして計算されます。

    ● 帳簿の受理:

     アッラーの御前で、全ての者はその帳簿を与えられます。それを右手に受け取った者は幸福な者で、後ろ向きに左手で受け取る者は不幸な者なのです:

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-人間よ、あなたはあなたの主へと向かって日々努力し、そしてかれとまみえる者なのである。それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。,(クルアーン84:6-12)

    2-至高のアッラーはこう仰られました:-一方帳簿を左手に渡された者はといえば、こう言う:「私の帳簿など渡されないほうが良かった。そして私の清算など知らない方が良かった。(現世での死で)全てが終わってしまえば良かったのだ。」,(クルアーン69:25-27)

    ● 秤が設けられること:

     審判の日、被造物の行いの清算のために秤が立てられます。人々は1人1人清算に赴き、主は彼らの前世での行いについて訊ねられます。そして清算が終わると、現世での行いが秤にかけられます。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種1粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)

    2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(善行)の秤が(悪行のそれより)重ければ、彼には歓楽の生活が待っている。そして(善行)の秤が(悪行のそれより)軽ければ、彼の住処は奈落である。そしてそれ(奈落)とは何であるか?燃え盛る業火である。,(クルアーン101:6-11)

    3-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“審判の日、信仰者は偉大かつ荘厳なる彼の主にまかり出るが、(その際)アッラーは彼をお隠しになる。そしてアッラーは彼の(前世にて犯した)罪を告白させられる。それでこう仰られる:「(しかじかの罪を)知っているか?」彼は言う:「はい、知っています。」アッラーは仰られる:「われは現世において、あなたのためにそれらを隠蔽しておいたのだ。それでこの日、われはあなたを赦そう。」すると彼には善行の帳簿が渡される。一方不信仰者と偽信仰者は全ての被造物の面前で、こう告知される:「彼らはアッラーに対して嘘を捏造した者たちである。」”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[4]

    ● 審判の日に人々が訊ねられること:

    1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなたの知識の及ばないものを追求してはならない。聴覚も視覚も心も、全てそれらは訊ねられることになるのである。,(クルアーン17:36)

    2-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてその日(アッラーはかれを差し置いて何か他のものを崇めていた)彼らを呼んで、こう言う:「あなた方が(この日)援助してくれると思い込んでわが共同者としていたものは、どこにいるのだ?」,(クルアーン28:62)

    3-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてその日(アッラーは人々に)呼びかけて、言う:「あなた方は使徒たちに対して、どういう受け答えをしたのか?」,(クルアーン28:65)

    4-至高のアッラーはこう仰られました:-ゆえにあなたの主にかけて。われら(アッラーのこと)は彼ら全員を必ずや問いただすであろう。彼らが(現世で)していたことに関して。,(クルアーン15:92-93)

    5-至高のアッラーはこう仰られました:-そして約束を守るのだ。それは問われることになるだろうから。,(クルアーン17:34)

    6-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてあなた方はその日、必ずや(現世でおろそかにし、そこに執着していたところの)享楽について訊ねられよう。,(クルアーン102:8)

    7-至高のアッラーはこう仰られました:-ゆえにわれら(アッラーのこと)は使徒を遣わした民と、使徒たちに尋ねよう。そして彼らに(彼らの間で何が起こったかを)知識をもって語り聞かせよう。われらは全てを監視していたのだから。,(クルアーン7:6-7)

    8-アブー・バルザ・アル=アスラミー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“審判の日、しもべはその月日を何に費やしたか、その知識でもって何をなしたか、またその財をどこから得て何に費やしたか、そしてその身体を何に消耗させたかを訊かれるまで、その足が落ち着くことはない。」(アッ=ティルミズィーとアッ=ダーリミーの伝承[5]

    ● 清算の方法:

     審判の日、清算される者は2種類に分かれます:

     1-易しい清算をされる者。それはつまり提示のことです。

     アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によればアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「“審判の日清算される者は皆、滅ぶ者たちである。”それで私(アーイシャ)は言いました:“アッラーの使徒よ、至高のアッラーはこう仰ったのではありませんか? -そしてその帳簿を右手に渡される者は、その清算を易しくされるであろう。,”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“それは提示である。審判の日清算が議論の的になる者は全て、罰されることになるのだ。”」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6]

     2-厳しい清算をされる者。大小全ての罪を問われ、それを正直に認めればともかく、それに嘘をついて否定しようとしたり隠したりしようとすればその口に封印がなされ、彼の肉体が(彼自身の口に代わり)彼のしていたことを告白します。崇高なるアッラーはこう仰られました:-今日われら(アッラーのこと)は彼らの口に封印をする。そして彼らの手は彼らが得ていたものについて語り、足はそれを証言するのである。,(クルアーン36:65)

    ● 全ての者は清算を受けます:

     審判の日の清算は、全ての者に及びます。ただ預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が例外とした彼の共同体からの70000人だけは別で、清算も懲罰もなしに天国に入ります。

    ● 審判の日、不信仰者たちは清算を受け、叱責の意味から現世での行いを提示されます。懲罰においての彼らの状況は様々で、多くの悪行を働いていた者の懲罰はそうでない者のそれよりも甚大なものとなります。また善行のある者に関しては罰が軽減するものの、彼が天国に入ることは決してありません。

    ● 審判の日真っ先に清算を受けるのは、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の共同体です。そして審判の日ムスリムが真っ先に清算されるのが、サラー(礼拝)なのです。それが良ければ残りの全ての行いも良く、それが悪ければ残りの全ての行いも駄目になってしまいます。また最初に人々の間で裁かれるのは殺人です。

    ● どのようにして秤にかけられるか?

     審判の日、しもべの行いは良いものであれ悪いものであれ、秤にかけられます。そして善行が悪行に勝った者は勝利を手にしたのであり、悪行が善行に勝った者は破滅したのです。そして行いの主とその行いとその行いの帳簿は、全てしもべの面前で崇高なるお方の公正さを示すがために、秤にかけられます。そしてその日しもべの秤に最も重いものは、高徳なのです。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてその日秤は真実である。そして(善行の)秤が(悪行のそれより)重かった者たちは、(その報奨を勝ち取った)成功者たちである。一方(善行の)秤が(悪行のそれより)軽かった者たちは、われら(アッラーのこと)のみしるしに不正を働いて(信仰しなかったことで)自らを破滅させた者たちである。,(クルアーン7:8-9)

     2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によればアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「審判の日肥ってこの上なく大きな男がやって来るが、彼はアッラーの御前においてハエの羽1枚ほどの重さもない。」そして彼(預言者)は言いました:「望むなら(クルアーンのこの句を)読むがいい:-それで審判の日、われら(アッラーのこと)は彼らに何の重みも見出さない。,」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7]

    ● 不信仰者の行いに関して:

    不信仰者と偽信者は「イーマーン[8]」という行いを受け入れられる条件を備えていないため、アッラーに近付くために行った行為や服従行為などいかなる善行も受け入れられることがありません。彼らの行いは風が強く吹き荒れる台風の日の灰のようなものです。そして審判の日、彼らは全被造物の前で「彼らはその主に対して嘘偽りを語っていた者たちである。」と告げられます。

     1-至高のアッラーはこう仰られました:-そしてアッラーに対して嘘偽りをでっち上げた者たちよりも不正を働く者たちがいようか?彼らはその主にその行いを提示されることになるのである。そして証言者たちは言う:「彼らこそはその主に嘘偽りを語っていた者たちである。不正者たちにアッラーの呪が降りかからないことがあろうか?」,(クルアーン11:18)

     2-至高のアッラーはこう仰られました:-その主に嘘偽りを語っていた者たちの行いは、風が強く吹き荒れる台風の日の灰のようなものである。彼らには彼らの稼いだもので何も出来ることがない。実にこれこそはただならぬ迷妄である。,(クルアーン14:18)

     3-至高のアッラーはこう仰られました:-その日(不信仰者たちは、現世で預言者たちがその預言者性を証明するためにそうすることを要求していたところの)天使たちを目の当たりにする。その日不信仰者たちによき知らせはない。そして(天使たちは)彼らに言う:「あなた方は(天国を)禁じられている。」そしてわれら(アッラーのこと)は彼ら(不信仰者たち)の行ったものに赴き、それを粉々に飛び散る埃のようにしてしまう。,(クルアーン25:22-23)

    ● その日、人は自らの行いを目の当たりにすること:

     審判の日、しもべたちの行いは提示されます。そして人はそれがいかに些細なものであれ甚大なものであれ、あるいは良いものであれ悪いものであれ、現世で行った全ての行いを目の当たりにすることになります。崇高なるアッラーは仰られました:-その日人々は自らの行いを目の当たりにするべく、散り散りになって出発する。それで小蟻1匹の重さほどでも善行を行った者は、(その日)それを目の当たりにする。そして小蟻1匹の重さほどでも悪行を行った者は、(その日)それを目の当たりにする。,(クルアーン99:6-8)

    ● 現世と来世における行いに対する報い:

     アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“アッラーは信仰者に対して、その善行を1つたりともおろそかにしたりはしない。それにおいて現世でお与えになり、来世ではそれによってお報いになられる。一方不信仰者は、現世においてアッラーのために行った善行により糧を与えられはするが、来世に終着した時にはそれにおいて報われるための善行が1つたりともないのである。”」(ムスリムの伝承[9]

    ● 審判の日年少者はどうなるか?

    信仰者の年少者たちは、信仰者の大人たちが人類の祖アーダム(アダム)の姿で天国に入るように、彼らもまた天国に入ります。一方不信仰者の年少者たちも天国に入ります。そして大人たちがそこにおいて結婚するように、彼らも結婚するのです。そして現世で結婚しないまま亡くなった者でも、来世では結婚することになります。天国において独身者はいませ

    [1] 訳者注:ハジャルはバハレーン地方に所在する町と言われます。またブスラーはシリア地方の1都市です。

    [2] サヒーフ・アル=ブハーリー(4712)、サヒーフ・ムスリム(194)。文章はムスリムのもの。

    [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(7439)、サヒーフ・ムスリム(183)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [4] サヒーフ・アル=ブハーリー(2441)、サヒーフ・ムスリム(2768)。文章はムスリムのもの。

    [5] 真正な伝承。スナン・アッ=ティルミズィー(2417)、サヒーフ・スナン・アッ=ティルミズィー(1970)アッ=ダーリミー(543)。、アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(946)参照。文章はアッ=ティルミズィーのもの。

    [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6537)、サヒーフ・ムスリム(2876)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [7] サヒーフ・アル=ブハーリー(4729)、サヒーフ・ムスリム(2785)。文章はアル=ブハーリーのもの。

    [8] 訳者注:「8.イーマーンとイーマーンの諸特質」の項参照。

    [9] サヒーフ・ムスリム(2808)。