アッラーの使徒ムハンマド(イーマーンの諸基幹)
This subject translated into
カテゴリー
Full Description
アッラーの使徒ムハンマド(イーマーンの諸基幹)
﴿ محمد رسول الله صلى الله عليه وسلم ﴾
] 日本語– Japanese – ياباني [
ムハンマド・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジュリー
翻訳 : サイード佐藤
校閲 : ファーティマ佐藤
2007 - 1428
﴿ محمد رسول الله صلى الله عليه وسلم ﴾
« باللغة اليابانية »
محمد بن إبراهيم التويجري
ترجمة: سعيد ساتو
مراجعة: فاطمة ساتو
2007 - 1428
アッラーの使徒ムハンマド
● その系譜と生い立ち:
彼の名はムハンマド・ブン・アブドッラー・ブン・アブドルムッタリブ・ブン・ハーシム[1]で、母親はアーミナ・ビント・ワハブです。所謂“象の年"[2]である西暦570年に生誕しましたが、父親アブドッラーはアーミナが彼を妊娠中に亡くなりました。それで祖父のアブドルムッタリブが彼の後見人となりましたが、彼が6才の時に母親のアーミナも亡くなりました。そして祖父のアブドルムッタリブが亡くなった後は、祖父のアブー・ターリブが彼の後見人となりました。
ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は高徳とよい人格を備えつつ成長し、人々から“アミーン(誠実、真摯な人)"という仇名で呼ばれました。そして40才の時にヒラー洞窟において啓示を受け、真理が彼に到来したのです。
それからムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人々をアッラーとその使徒への信仰と、アッラーのみを崇拝することへと誘い始めました。彼は様々な迫害を被りましたが、アッラーの勝利を待って忍耐し続けました。そしてマッカからマディーナへと聖遷した後に様々な法規定が定められ、イスラームは強大化し、完遂されたのです。
ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はヒジュラ暦11年のラビーウ・アル=アウワル月の月曜日、63才で亡くなりました。そしてアッラーからのメッセージを明瞭な形で伝え、その共同体に全ての善を示し、かつ全ての悪を警告した後に、崇高な主の御許に召されたのです。彼にアッラーからの祝福と平安あれ。
● その特性:
預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最後の預言者、諸使徒の長であり、アッラーを畏れる者たちの導師です。またそのメッセージは人類とジン[3]一般を対象としており、アッラーは彼を全世界への慈悲として遣わされました。またわずか1晩でエルサレムまでの奇跡の旅行と、天界への訪問を行いました。またアッラーは、彼を預言者性と使徒性をもってお呼びになりました[4]。
ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「私は、私以前には誰も与えられなかった5つのものを与えられた:つまり1ヶ月先の旅程までの敵は私に対して恐れをなし、それによって私は援助されている。また私のために(全ての)地面がモスクとなり、清浄なものとなった。ゆえに私の共同体のいかなる者も、サラー(礼拝)の時間が来たら(好きな所で)サラー(礼拝)するのだ。また私以前には誰にも合法化されなかった戦利品が、私には合法化された。また私には(審判の日の)とりなし[5]が与えられた。そして預言者というものはその民だけに遣わされていたが、私は人類一般に遣わされたのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6])
また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が共同体内の他のムスリムに対して例外的に有する特質として、次のようなものがあります:連続的なサウム(斎戒)。マハル(持参金)なしの結婚。5人以上の女性と結婚すること。サダカ(施し)を受け取らないこと。他の人々の聞こえないものを聞くことができる能力。ジブリール(彼に平安あれ)をアッラーが創造された形において見たように、人々が見えないものを見ることができる能力。遺産を残さないこと。
● 啓示のあけぼの:
信仰者たちの母アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)はこう言いました:「アッラーの使徒への啓示は当初、睡眠中の正夢から始まりました。彼の見る夢は全て、黎明のごとく明らかに現実化しました。それから孤独を好み始め、ヒラー洞窟に引きこもるようになりました。そしてそこで幾晩か崇拝行為に没頭しては、家族のもとに戻り、そこで食糧などを蓄えては再び洞窟に戻り、そしてまた彼の妻ハディージャ・ビント・フワイリド・ブン・アサド・ブン・アブドルウッザー(彼女にアッラーのご満悦あれ)のもとに戻って同じくらいの期間に必要な量の蓄えを携えてゆく、ということを繰り返していました。この習慣は、ヒラー洞窟において彼のもとに真理が訪れるまで継続しました。その時彼のもとを天使が訪れて、こう言ったのです:“読むのだ。" ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は答えました:“私は読むことができません。"[7]
ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(私にこう)言いました:“すると彼(天使、すなわちジブリール)"は私を掴み、覆いかぶさって締め付けてきたのだ。そして私がとても苦しくなると、彼は私を離してこう言った:“読むのだ。"私は言った:“私は読むことができないのだ。"すると彼はまた私を掴み、覆いかぶさって締め付けてきた。そして彼は私を離すと、こう言った:-創造を行われたあなたの主の御名によって読め。(かれは)人間を一滴の凝血からお創りになられた。読むのだ。あなたの主はこの上なく寛大なお方である。,(96:1-3)
それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は心を恐怖でおののかせつつ、その啓示と出来事を携えて家に帰りました。そしてハディージャ・ビント・フワイリドのもとに行くと、言いました:“私を包んでくれ。私を包んでくれ。"そして彼は彼の恐怖が去るまで、(衣服などで)包み込まれました。それからハディージャに、彼の身に起こったことの顛末を話しました:“私は(この出来事により、自分がどうなってしまうのか)恐くなってしまった。"するとハディージャは言いました:“いいえ、アッラーにかけて。アッラーはあなたを辱めるようなことは、決してなされません。あなたは親類縁者に良くし、身寄りのない弱者を助け、貧者に与え、客人にはもてなし、不幸に襲われた人たちの力になるのではありませんか。"
そしてハディージャはムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を連れ、
彼女のいとこのワラカ・ブン・ナウファル・ブン・アサド・ブン・アブドルウッザーのもとへと赴きました。彼はイスラーム以前の無明時代にキリスト教を受け入れた男で、ヘブライ語で書物を記し、福音書もヘブライ語で書いていました。また彼は非常に高齢で、既に視力を失っていました。ハディージャは彼に言いました:“叔父さんの息子よ、あなたの兄弟の息子の話を聞いてください。"ワラカは聞きました:“我が兄弟の息子よ、あなたは何を見たのか?"それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に、彼の見たものについて語り聞かせました。
するとワラカは言いました:“これはアッラーがムーサーに下したのと同じ啓示だ。ああ私が若者であったなら!そしてあなたが民によって追い出される時に、私が生きながらえていたら!"するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“人々は私を追い出すのですか?"(ワラカは)言いました:“ああ、あなたがもたらされたようなものを携えてきた者は皆、人々に敵対されるのだ。もしその時まで私が生きていたのなら、あなたを手厚く擁護したのだが。"その後間もなくしてワラカは亡くなり、啓示も中断しました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8])
● 彼の妻たち:
所謂“信仰者の母たち"は、現世と来世において預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻たちです。彼女たちは皆ムスリムで善良かつ清浄、純粋であり、貞節に関わるような全てのことにおいて無実です。彼女たちは以下の者たちです:
ハディージャ・ビント・フワイリド。アーイシャ・ビント・アビー・バクル。サウダ・ビント・ザマア。ハフサ・ビント・ウマル。ザイナブ・ビント・フザイマ。ウンム・サラマ。ザイナブ・ビント・ジャハシュ。ジュワイリーヤ・ビント・アル=ハーリス。ウンム・ハビーバ・ビント・アビー・スフヤーン。サフィーヤ・ビント・フヤイ。マイムーナ・ビント・アル=ハーリス(彼女たち全てにアッラーのご満悦あれ)。
彼女たちの内、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の逝去前に他界したのはハディージャとザイナブ・ビント・フザイマの2人のみで、他の妻たちは皆彼の逝去後に亡くなりました。
彼女たちの内で最良の妻はハディージャとアーイシャです。彼女たち全員にアッラーのお悦びがありますように。
● 使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の子供たち:
1-使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は3人の息子を授かりました。アル=カースィムとアブドッラーをハディージャから、イブラーヒームを女奴隷のコプト人マーリヤから授かりましたが、全員夭折しました。
2-一方娘たちはといえば、ザイナブ、ルカイヤ、ウンム・クルスーム、ファーティマの4人をハディージャから授かりました。ファーティマ以外の3人は全員預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の逝去前に亡くなり、ファーティマのみが彼の他界後まで存命しました。彼女たちは皆ムスリマ(ムスリムの女性形)であり、善良で潔癖です。彼女たち全員にアッラーのお悦びがありますように。
● 使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のサハーバ(教友たち):
使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のサハーバ(教友たち)は最良の世代であり、全ての共同体において比類ない卓越性を備えています。アッラーは彼らをその預言者に連れ添わせるために選ばれました。そして彼らはイスラームの大儀のために守り、援助し、財と生命をもってアッラーの道のために努力奮闘しました。アッラーは彼らをお悦びになり、彼らもまたアッラーに満足しました。またムハージルはアンサール[9]に優越しています。
アブドッラー・ブン・マスウード(彼にアッラーのご満悦あれ)は預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言ったと伝えています:「最良の人々は私の世代であり、それに次ぐのがその次の世代、それに次ぐのがそのまた次の世代である。それからシャハーダ(信仰告白)を何かの誓いに合わせ用い、何かの誓いにシャハーダを合わせ用いるような人々が現れるであろう。」[10](アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11])
● サハーバ(教友たち)に対する敬愛:
全てのムスリムはサハーバ(教友たち)全員を心でもって愛し、舌でもって讃え、彼らを慈しむとともに彼らのためにアッラーからのお赦しを請う義務があります。また彼らの間に起こった諍いなどに対して口を慎み、彼らを誹謗したりしてはなりません。というのもサハーバ(教友たち)には様々な功績や美点、善行や徳業があり、またアッラーとその使徒を従順さをもって援護し、アッラーの道において努力奮闘したからです。また彼らはイスラームの布教に献身し、移住し、援助しましたし、アッラーのお悦びを求めてその道において財と生命を投げ打ちました。アッラーが彼ら全員をお悦びになりますように。
1-至高のアッラーは仰りました:-そしてムハージルーンとアンサール[12]の先駆けた先人たちと、イフサーン[13]をもって彼らを踏襲した者たちは、アッラーがお悦びになられ、彼らもアッラーに満足する。そして(アッラーは)彼らのために、その下を河川が流れる天国をご用意された。彼らはそこに永遠に留まる。それこそはこの上なく偉大な勝利なのだ。,(クルアーン9:100)
2-至高のアッラーは仰られました:-そして信仰し、移住し、アッラーの道において奮闘した者たち。また住処を提供し、援助した者たち。彼らこそは真の信仰者である。彼らには(アッラーからの)お赦しと、天国の報奨があろう。,(クルアーン8:74)
3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“私のサハーバ(教友)を誹謗してはならない。私のサハーバ(教友)を誹謗してはならない。その御手に我が魂が委ねられているお方に誓って。例えあなた方の誰かがウフド山ほどの金塊を施したとしても、それはサハーバ(教友)の1人が施したものの両手いっぱいの量、あるいはその半分ほどにも及ばないのだから。"」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14])
[1] 訳者注:「ブン」とはアラビア語で「~の息子」という意味です。
[2] 訳者注:「象の年」とは当時のエチオピア帝国の占領下にあったイエメン総督アブラハが、マッカのハラーム・モスク破壊を目論み、象で編成された軍をもってマッカ侵入を試みた事件が起きたことに由来します。
[3] 訳者注:精霊的存在。
[4] 訳者注:つまり文字通り彼を「預言者」あるいは「使徒」とお呼びになったこと。
[5] 訳者注:詳しくは「イーマーンの基幹 - ⑤最後の日への信仰」の章「とりなし」の項を参照のこと。
[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(335)、サヒーフ・ムスリム(521)。
[7] 訳者注:彼は文盲でした。
[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(3)、サヒーフ・ムスリム(160)。文章はムスリムのもの。
[9] 訳者注:「ムハージル」はマッカからマディーナへと宗教迫害を逃れて移住した信仰者で、「アンサール」は彼らをマディーナで迎え入れ、財や住居などの物質的側面と精神的側面から援助した信仰者たち。
[10] 訳者注:つまり自らの誓いの言葉を高めたいがためにシャハーダの言葉「ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドゥッラスールッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはアッラーの使徒である、というイスラーム信仰の要である信仰告白の言葉)」を発し、あるいは自らのシャハーダの信憑性を高めたいがために誓いの言葉を併せ用いるような、信仰心が堅固でないような人々のこと。
[11] サヒーフ・アル=ブハーリー(2652)、サヒーフ・ムスリム(2533)。文章はアル=ブハーリーのもの。
[12] 訳者注:詳しくは訳者注9を参照のこと。
[13] 訳者注:詳しくは「6.イスラーム」の章を参照のこと。
[14] サヒーフ・アル=ブハーリー(3673)、サヒーフ・ムスリム(2540)。文章はムスリムのもの。